最近の空模様は興味深い。
晴れ間が見えたかと思うとたちまち雨雲におおわれて雨が降ってくる。
上空の大気の状態が不安定、と天気予報で耳にするけれど大気の状態が不安定、とは言わずもがな低層での状態をいうのだろう。
空を眺めていると高層の雲はほとんど動かず、低層の雲がまるで乗り物のようにかなりの速さで動いている。
空だけでなく海の中でも表層海流と深層海流は交じり合わないで別々に動いている、と聞いたことがある。海では上層が流れが速く深層海流はゆっくり動く。
空にも海にも階層があってお互い交じり合わずに独自のペースで動いている。
人間はどうなのだろうか。
二極化、分断といった言葉を耳にするけど自然界を眺めれば階層あるのが当たり前、どちらもこの世界の構成要素として在るもの、ただそこに色がついていない、色即是空、空即是色がこの世界の本性だ。
昨夜本屋で立ち読みした成毛氏の未来予測の本には2040の世界(そんな題名だった?)では空を車が行き交っているのだそう。あと20年は生きられるかな?
アポロの月面着陸のテレビ中継や火星探索機から送られてきた地表の写真をリアルタイムで目にしていた子供の頃。
月に行くのは海外に行く感覚、死ぬまでには火星を間近でみれるかな、くらいの感覚でいた。
あれから数十年たっても、宇宙空間から地球を眺められるのは一部の人(相当のお金を積めば一般人でもスペースシャトルに乗れる?)に限られる。
地球の重力とはかくも強力で人類の地球脱出を阻んでいる。
先日のオリンピックの走り高跳び競技では地球の重力の抗う人間の飽くなき挑戦という感じがして見ていてワクワクした。
そういえば小学校の体育の授業での走り高跳びはダントツで先生に跳躍力を認められて中学では陸上部に入るようにと言われたな。
ジャンプして一瞬空に浮かんでいる時間がただただ気持ちよくて一人でいるときも意味もなく飛び跳ねていた成果だったのだろうか。
今は思いっきりジャンプしたらどこかの関節が危なくなる感じでできないけれど、そこへの憧れがカエルに投影されているのかもしれないなあ。
年を重ねると自身のからだの重みで身長は縮んだり腰や背中が曲がってくる。
それに抗うには自身のからだに対して意識的である必要だが、呼吸に対して意識的であることと同じように姿勢体位に対して意識的であることは今やかなりのトレーニングが必要だ。
洋式便座やお掃除ロボットなどいかに楽に生活するか、を追求していった先には何が待っているのだろうか。
子供の頃に読んだウェルズのSF「宇宙戦争」の挿し絵に描かれていた火星人は頭が大きく手足はタコのよう、地球上の重力では生身では直立できないのでモビルスーツのようなものに入っていた。。
もしかしてあれは未来の地球人の姿なのかもしれない。。。
雲を見ているとキリがないが頭の中のおしゃべりも今日の雲のようにキリがない。。。