~アケミのひとりごと~
人というものを2種類に分けてみよ、という試験の出題があったとしたら、
男と女、子供と大人、王子と乞食、等々いろいろな分け方答え方があると思うけれど一つだけ挙げよ、と言われたら今のワタシなら
変化したい人
変化したくない人
を挙げると思う。
変化という言葉をよくよく考えると
変化は意図して起こるものと意図せずに起きてくるものにまた分けられる。
変化しないものを無理に変化させようとしたり
変化に向かっているものを無理に押し止めようとしたりするときに摩擦が生まれる。
その摩擦を人は問題と呼ぶ。
成長発展することと退化衰退すること
生きることと死ぬこと
どちらもいい悪いではなくただ変化していくことだけが紛れもない真実。
生成流転、平家物語の「祇園精舎の鐘の音、盛者必衰の響きあり」や、方丈記の「ゆくかわのながれは絶えずしてしかももとの流れにあらず」など、
昔々親しんだ古典の言葉の数々が蘇る。古典に触れていてよかったなあと感じる瞬間は、一粒で二度美味しいグリコのキャラメル(ああ懐かしの味~)。
変化を受け入れられたら後は自然に楽になる。
抵抗しない=力まない=楽=楽しい
人生という波に乗るためには脱力して身を委せよ、的なことはよく言われることでもある。
整体でもベッドの上で脱力して身を委せられる人ほど結果が出やすい(ワタシも楽になるという相互作用が起こる)。
変化する方向に向いている人を変化の波にのせることはそんなに難しいことではない。
本人自ら変わりたい方向に(無意識かもしれないが)向かっているわけだから摩擦がない。
自ら変化したくなくて現状維持したまま楽になりたい、は無理な話。
(溜めたゴミを出 して一時的に スッキリ!の楽はあるかもだけど 。もちろんそんな楽もアリだけど)
現状維持した結果が辛い状態を維持させているのならば、そうでない状態(それを楽というならば)になるには変化を受け入れなければならず、そのためには鎧兜を脱いで生身を委ねる勇気が必要だ。
その観点から
変化したい人
変化したくない人
を別の言葉で表現すると
勇者
臆病者
とも言えるかもしれない。
面白いことに勇者と臆病者、そんな分類を越えて行くことに快感を覚え喝采を送るという性(さが)が人間にはある。
だからいつの時代でも冒険、闘い、葛藤がテーマの物語があるのだ。
変化したいと変化したくない
勇者であることと臆病者であること
どちらも地と図の関係性。
人は図を見ている瞬間は地が見えず
地を見ている瞬間は図が認識できない。
2つに分けたどちらにしか認識できないのが人間の反応の特性ならばその瞬間を見て気づいている状態は人間の性(さが)を越えた境地だ。
それを差取り、悟りと表現できるかもしれない。
そう言えば光の性質は点滅の連続であり波である、と聞いたことがある。
人間の本質とは何かと聞かれたら
「光そのもの」
というのも一つの答えなんだろう。
、、、ゲシュタルト療法もまたそこに向かう眼差し、道筋の一つなのだ。
今月の講座はお花とゲシュタルト
花を活ける中で自分を感じて自分を見いだす過程を味わう豊かな時間でした。
は花の上ではなく、捨てられそうな枝の上の方が居心地よかったのでした!
蝶や蜜蜂は花に向かうけどはそうじゃなかったよ。。。
写真は選んだ花と葉と茎で表現したものに奇跡的にちゃんが現れてワタシの世界が完成したの図