朝のラッシュアワーの電車内にいる。
吊革にもつかまれない状態で揺れに対応しているからだを感じている。
揺れに応じて反射的に足が踏ん張ったり臀部の筋肉に力が入ったりする。その感覚に意識を向け続けていると自信、確信という言葉が浮かんできた。
どんな足元が揺らぐような状態でも自由自在に揺らぎながら考えることなく(考えるという過程を経ずに)瞬時に反射的に揺れに対処できるからだを自分が感じていることが自信確信という言葉の意味なんだな。
からだとこころは繋がっているからこの意味はこころの揺れにも当てはまる。
よく揺れない動じないこころ、不動心がいいと思いがちだけど揺れのエネルギーに対して動じないではなく揺れを感じながらながらそれと一体となって中和?してしまう、それこそが不動心なのかもしれない。
満員電車の中の揺れの中でも余裕でからだ感覚に向き合えるようになったのは間違いなくオリーさんのインソールと靴調整のおかげ。
いつもオリーさんのおかげ、ありがとう!と言うと自分のおかげではなく神さまのおかげ、神さまは完璧に人間を作っているのだからそこを思い出させるだけ、感謝は神さまに向けるべき、的な言葉を返されるんだけど。
確かにオリーさんの方が言葉の意味をよく考えている。
正確には「わたしの素晴らしさ完璧さを感じられるきっかけと方向を示してくれてありがとう」
なのだろう(ああめんどくさい)
振り返るとワタシも同じだ。あなたのおかげ、素晴らしい、ありがとう!と言われたら、「そう言ってくれると嬉しい、ありがとう!」と返すけれど、言葉にしない部分は「そう感じるあなたのからだが素晴らしい、ありがとう」なんだよな。
考えた言葉より感じた言葉が嬉しい。だからどんな誉め言葉より「ああ~気持ちいい~」のため息の方が嬉しいのですよ、グフグフグワッグワッ
オヤジでてきた、もうすぐ品川駅、満員電車楽しめたよ!