自分がやっている整体を一言でいうとその人本来のからだの流れをとりもどす(整える)→感じていることを感じられるからだになっていくお手伝い、でしかないということなんだよね。
その結果として今までのやり方ではなく本来の無理のない状態をからだが感知できるようになって意識せずとも自分にとって最適な姿勢や動きができるからだになっていく、ということ。
いのちの流れを川の流れに例えると、石や流木などで流れが淀みかけているところを少し手助けして動かす感じ。
本流がしっかり流れていれば障害物を少し動かすだけで直ぐに流れがついてくる。
問題になるのは流れ自体に勢いがななくなっている場合。
勢いをつけるために温度と水と空気と動き(からだとこころ両方)が助けになる。
具体的には
○冷えたからだを温めること
物質は温度が下がると固まる。これは自然界の法則。人間のからだの組成は水と油とたんぱく質、冷えると流れ悪くなる。
○水を摂取すること
軽い脱水状態が頭痛肩こり疲労などの原因となっていることを知っている人は少ない。
○深呼吸すること
不調になっている人はほぼ呼吸が浅く深い呼吸ができていない。慢性酸素不足なら当然頭痛くなるし疲れも取れない。
○違和感ある部位を自分が心地よくなるように動くこと
便利で快適で楽な生活とはからだを動かさなくてもいい状態ともいえる。逆に仕事は同じ姿勢同じ動きばかりすることになる。からだはバランスよく動きたいのにそれができない。淀みと硬直はそこから生じる。
○こころにつっかえていることを話すこと(言葉にして放出すること)
感情によってからだの状態が瞬時に変化することは誰でもわかること。からだはこころの代弁者でもある。
水や空気の摂取と排出、姿勢や動き、感情の動き、、、あまりに当たり前過ぎて意識もしななくなっているところに気づきの領域が広がり深まっていくといつの間にか問題が消えていく。
栄養素を取らなきゃ!とサプリ探しなどしなくても何が不足しているか、何を食べたらいいか、考えなくてもからだで分かるようになるし、運動しなきゃ!とジムに行ったりしなくてもどんな動きをしたらいいか、からだが勝手に動いていく。
生きているということはそれができるということ。その可能性に満ちている、開かれているということ。
解決を意識的に外に、人に求めるのではなく、意識を内へ向けて自分を感じることをゆるせば解決の仕方は自らのからだから勝手にやってくる。
ゴッドハンドと言われると出てくる抵抗と違和感は本当はみな自分が自分のゴッドハンドとなり得るのにそこを人に明け渡してしまっているかのように感じてしまうところから来るんだよね。
わたしの手がからだに向かって一人一人が自らのゴッドになり得ることを訴えている、そのことがゴッドハンドだと言われているのならばすごく嬉しいし光栄なことなんだけど。
ゴッドハンドという言葉に、そこに頼ればなんとかしてもらえるという、自らの力を無力化し放棄してしまう(させてしまう)ニュアンスを感じてしまうのはあまりに施術関係のコマーシャルにその言葉が使われているからなんだろう。
儲けるとかけて信者ととく、儲かる=信者が増える、今の世の中に対する違和感とここへの違和感とは同じだ。。。
今日は冷え込んだ。師走らしい寒さだ。 東京も寒いね。。。
からだは冷えやすく脱水しやすく縮こまりやすく動きも鈍くなる。
からだとこころに温もりと流れと緩みを、そして自分らしい動きを自分にゆるすことに、自戒を込めてひとりごと。