ゲシュタルト療法の学びの先輩方がオリーさんの指導を受けにはるばる長野市(心理的には東京や名古屋に行くより遠い長野市!)から駒ヶ根まで来てくれました。
オリーさんの話す内容への興味と理解度が素晴らしく、あらためてオリーさんの話はゲシュタルト的なんだなあと感じることができて嬉しかった!
ワークの中で頭で考えることや言葉に頼ることの弊害や、からだを様々な方向から見たり感じたり、ある部位の不具合の原因は原因ではなく結果であることを実感できたり。。
目の前の人によってオリーさんから引き出される言葉や動きが変わるのが見ていて面白い!
オリーさんの指導受け始めた当初、あまりのレベルの高さに「本とかにまとめたら多くの人に届くのに」と思ってオリーさんの言葉を書き留めていたのだけれど(過去にも何人かの人から本を書けと言われたことがあるそうです)
「感じたことのないことを先に言葉で説明しても意味ないし逆に感じることの邪魔をしてしまう、意味がないんだ」、とオリーさんからたしなめられた。
言葉や説明、理論は体感した後にこそその意味がわかるし生きるもの。
この日は「いまここ」にコンタクトし続けている状態のことを「繋がっている」「降ろしている」と言葉で表現しているんだな、と気づきました。
一人の方がオリーさんのことをそう言葉で表現してたから。
繋がっている人、降ろしている人、とか聞くとスピリチュアルなすごい人みたいなイメージだけど「いまここ」にコンタクトし続けている人のことならば、当たり前なことであり、誰でもできること。からだは誰にでも開かれているその入り口なんだ、と自分の言葉になりました。
横になっている写真はお腹をゆるめることをやっています。感じやすくするために重石を乗せて呼吸をします。
お腹固くなってるなあ、、、という感覚に意識を向けていたら「最近食べ過ぎだからだよ!」とお腹からの声が聞こえました