横浜の実家は15~21歳まで暮らした金沢文庫にある。
近くの公園のタブノキは40年近く経っても変わらず残っていた。
ブランコに揺られながらこの木を眺めていたあの頃の感覚は未だにからだに残っている。
「大丈夫だ。わたしはずっとここにいる。」
言葉にするとしたらこんな意味のことを、あの時この木はワタシに向かって確かに語ったのだ。
ずっと後になって『樹木は語る』という題名の本に思わず手が出てしまったのはそんな感覚を覚えていたから。
「大丈夫だ。わたしはずっとここにいる。」
この感覚は今までも腹の奥にあって生きることを支えてくれていたし、これからもあり続けるだろう。
調べてみたらこのタブノキは樹齢200年以上らしい。
金沢文庫再建や金沢区の発展に貢献した明治の偉人大橋新太郎の別荘跡地だったらしく新しい碑が建てられていた。
街並み家並み住む人は変わっても変わらないのは樹木(古木)と石像物。