最近障害を持つ方の施術をさせてもらえる機会があった。
統合失調症と知的障がいの方。
施術をしていたら、滝に打たれて清浄になった後ではじめて向かい合える存在、、そんな厳粛な気持ちになった。
からだはガチガチだし口から出る言葉は脈絡ないけれど、その奥から感じる、純粋で汚れていない美しい何か。
手を通じてからだから感じるものを言葉にすると
ああこの人たちは全てわかっているんだな
わかっていて引き受けているんだな
深いところが突き動かされて不覚にも涙があふれてきた。
この感じには覚えがある。仏像に対峙しているときに起きるあの感じだ。尊いものに手を合わさずにはおれないあの感じ。
まだ世の中には障がいある方への偏見が多いと感じるけど
一人の人間という細胞がたくさん集まって形成されているのがこの社会という一つの生き物だとしたら、障がいのある方は実はバランスを失って機能不全を起こした細胞や組織に対して働く安全弁のような、守り神的存在なのではないか、と思うことがある。
この世界の安寧のため一生をささげるべく出家した仏弟子なんじゃないのか、
価値観の違う社会や時代ならば崇められ大切にされる存在なんじゃないのか、と。
ワタシもやっとそんな方々に施術させて頂けるくらい修行が進んできたということかな。