かえる妄想
なんでかえるにここまで興味があるのか、そこを自分で分析して言語化したいと思っていて。。。
一応とっかかりのテーマとして
・両生類であること
水から出て陸へ上がる、という生物の進化の過程を体現していること、成体になっても水陸両用である守備範囲の広さ、水中、土中(冬眠中)、空気中で生きられる。
いろいろな場所で生きられるっていいなあ!
・変態について
おたまじゃくしから、後ろ足が生え次に前足、尻尾が吸収されてかえるへ、おたまじゃくしからいつの間にかかえるになる、
その変態の流れ、成長の過程が面白い!
・擬態の方法
敵からの身の守り方として、周囲の色(生息環境)に合わせて変色したり、形を変えることができる。
南米生息の赤や黄色、青など鮮やかな色のかえるには猛毒がある。
毒があるといってもヘビのように攻撃時に使わない、というより攻撃しない。
色で補食したらヤバいですよと知らせる消極的防衛でありながら世界最強の猛毒持ちなところがカッコいい!(笑)
・キャラクター化について
ある文化圏では神であり、賢者の象徴であったり。そうかと思えば民話などで愚者の象徴として描かれたり。
カエルグッズの店もあるくらいマニアがいるが、好き嫌いもわかれる。
真逆の扱いを受けるその存在の内包する豊かさに萌える!
などなど、、、
あげだしたら収集がつかなくなりそう、、、
こんなことを妄想していたら幼い子供の頃の出来事が鮮明に思い出されてきた。
よくある子供の頃の喪失体験のお話。
わたしは母が36歳の時に生まれた。母にとっては初産で妊娠中はむくみがひどく「ゾウの足」のようになっていた、と聞いたけどがある。
予定日過ぎても生まれてくる気配がなく高齢出産で妊娠中毒症も心配される状態だったので帝王切開出産だったそうだ。
出してみたら4000グラムを越える巨体で、髪は黒々と生えそろい、背中までびっしり毛が生えていたそう。
それだけでもなんだか異形な感じがするけれど、更に尻尾(小指の先っぽくらいの脂肪の塊のようなもの)があった。
背中の産毛は成長の過程で無くなったけれど尻尾はそのまま残り、幼稚園児の頃はその尻尾が人と違う特別なものとして密かに自慢するものだったらしい。
覚えているのは仲良くなったおともだちに「いいものみせてあげる!」とお尻を出してみせていたこと。
4~5才の幼稚園児だからそれが恥ずかしいこと、いやらしいことなどという認識は全くなく、ただただ「すご~い!」「おもしろいね~」とか認めてもらいたかったんだと思う。
ある時それをおともだち(男の子)のお母さんが目撃してしまった。
お宅の明美ちゃんちょっとマズイんじゃない?と母に忠告がいったようだ。
それから間も無く母からおともだちにお尻を見せないように釘を刺され
「年頃になって恥ずかしい思いをするとかわいそうだから小学校に上がる前にとるよ」
と宣言された。
近くの外科病院に連れて行かれ手術が終わった後、先生が「これで安心だね」的ニュアンスの言葉をかけてくれたことも、嬉しいよりむなしかったのをぼんやり覚えている。
自慢の尻尾がとらわれてしまうことが悲しかったのはもちろんだが、何より人にみせて「わ~すごい!」と言われるものが実は世の大人たちにとっては恥ずかしいことだっんだ!という衝撃は相当のものだったと思う。
事実として記憶として思い出すことはできるのにその時どんな気持ちだったかぼんやりしているのは、きっとあまりにショックだったので感情凍結させて他人事とすることでやり過ごしたのだろう。
幼稚園時代の記憶はとても鮮明に思い出せるのに小学生時代の記憶(特に低学年)が欠落しているのはその後遺症だったのかもしれない。
ドラゴンボールの孫悟空が尻尾をつかまれる(とられるとだったっけ?)と力を失ってしまうという設定はとても面白い。
まさにあの時わたしは自分の力との繋がりを、パワーを失ってしまったんだろう。
カエルになる直前のちょっと尻尾が残っているようなアマガエルを目にするとどこからくるのかわからないやるせなさ、同族感?にとらわれたのはここと繋がっていたのかな。
更に、自分がおもしろい、とか楽しいとか、最高!!と感じるものはなかなか理解されにくい、という根深い思い込みもここと関係ありそう。
今年はこの辺りを掘り下げてみていこう。
カエルから自己探求が深まった1日、やはりカエルはわたしに帰る道を教えてくれる存在。
今日もカエルに帰る1日だったなあ。