お金のブロックを外すには自己肯定感を高めること、とか、
お金への意識と自分への意識は同じ、
という言葉に昔から違和感ありありだった。
その違和感が今朝お風呂に入っていたら突然言語化された
それは、お金の量と質を混同していたから!
質量という言葉に表現されているように、質が先で量が後を、量が先で質が後、と言われているような違和感だったんだなということ。
食が細い人は周りからもっと食べた方がいい、もっと太った方が体力保てるよ、等とアドバイスされるだろう。
これくらいの量がからだにとって最適だ、というからだが喜ぶ状態は体質によって全く違う。
年代によっても違うだろう。
若い時はたくさん食べたい、質より量だが、、中高年になればバイキングより質の良い美味しいものを少量、という人は多いだろう。
食材でいうと、質がいいとは、産地直売、みたいなものかな。自然への感謝の想いを忘れない生産者が作った新鮮なもの、その土地でその時期しか採れない、知る人ぞ知る的な。こんないいものがこんな「お値打ち」に買える(ここもいたー!)なんて感じ。
これぞ価値
(一般論ではなくあくまでワタシにとっての価値)
お金のブロックは稼ぐ稼げないといった「量」に焦点が当たって語られるから違和感だらけだったんだ。
お金にあまり興味ない、というかそう表現することですぐにお金にブロックあるからだ!とか、
お金と向き合うのを避けているのは自分の価値を向き合うことを避けていいるから、となるから違和感だったんだよな。
どれだけの量のお金を得たいか?を
どのような質のお金を得たいか?に変換したら俄然興味がわいてくる。
質問を変えたら全然違和感ないよ。
お金のブロックをどうのこうのより、自分が何をしたいのか、何に価値を見出だす存在なのかはっきり認識すること、そこが先。
どんなもの食べたい?をどんだけの量食べたい?と聞かれているような違和感だったんだ、とわかったら、な~んだ!という話。
質量のことを量質と言われて意味はわかるけどなんか変?ということだったということ。
自己肯定感に関して言えば、そういう違和感出る自分を肯定できない、というところだな。。
ここまで言語化しないと納得できないとは。。。
ここはじっくりみていかないと。。。
昨夜滞在先のホテルでの凄さを紹介する番組見れました
嬉しかった~
カエルすごい!!自己肯定感上がりまくってます。
思わずパシャリ!
この股関節のバネとノビがあの跳躍力を生むんだよなあ