感覚過敏と常同運動
発達障害の診断では子供のころの様子が決め手となる。
私の場合は感覚過敏と常同行動について、医師から問診があった。
聴覚過敏が一番顕著で、3才の私がトイレの水を流すジャーという音を異常なほど怖がったため、当事まだ少なかった自家用車もある家だったのに、トイレは汲み取り式にするしかなかった。姉が覚えていて、「アケミのせいでうちは臭いボットントイレだった!😠😠」と後々まで言われたものだ。
あと記憶にあるのが電車の踏切の恐怖。渡っている時にカンカン鳴り出すんじゃないかと怖くて堪らなかった。
母親は踏切の前で後退りする私の手を引きながらいつもなだめ透かすのに苦労していた。
踏切恐怖はかなり大きくなっても続き、今でも踏切でカンカン鳴り出すと、子供のころのあの恐怖がよみがえってくる。
小学校の運動会ではピストルの音が怖くて、鳴る度に全身が撃たれたような感覚に襲われた。
幼稚園では音を怖がる私のためにかけっこのスタートをわたしの番の時だけ「ヨーイドン」の掛け声にしてもらったくらい。
犬は大好きだったが吠える犬は苦手だったし(吠える人も苦手(笑)、雷の音も全身に電気が走るような衝撃を感じた。
大人になった今、怖いのは最近の車だ。運転中に車線をはみ出すと警告音が鳴るのでビックリしてハンドル操作を誤りそうになる。警告が警告になってない!😰😰逆に危ない!。
ナビがしゃべるのも苦手。予想して心の準備ができていればそれほどでもないが、突然くるとまるでドッキリテレビ(知っている人は同年代?)のような反応をして自分でも笑える。
音に敏感なことは、半面いいこともある。ピアノの聴音(先生が同時に和音を弾いて音を聞き取る)ではいつも満点だったし、興味を持った中国語はあっという間に発音は中国人以上だ、とお墨付きをもらえるくらい上達した。ちなみに中国語検定一級持っている(なぜか英語は全然ダメ)
あ、あと子供のころはカエル捕りの名人と言われたな。カエルの鳴き声がどこから聞こえてくるかすぐわかるので捕まえられたからだ。近所の小さい子供たちを引き連れてカエル🐸捕りに遠征したのも楽しい思い出。
子供の遊びの中では聴覚過敏はプラスになった。
学校ではいじめられたりして口数少ないおとなしい子供だったが、放課後の遊びの中では得意な分野を使って一目置かれる存在だったのだ。
常同運動とは同じ動作を飽きもせず繰り返すこと。これの有無が自閉症スペクトラム障害の診断の決め手になるらしい。
私の常同運動は腹這いの体勢で重ねた手の甲に眉間を繰り返し打ち続ける、しかも「ウーアーウーアー」と声をあげながら。それはあたかも五体投地してお経をあげている感じだろう。それを短くて10分長くて一時間以上続けるのだ。とにかくやむに止まれずやらずにはおれない感じ。
その運動のおかげで体力テストでの背筋の成績は断トツだった😅😅。この常同運動は20才くらいまで残っていた。
同じ刺激を受けても、アスペと定型発達者とでは脳の反応する部分と活性化する部分が違っている、という研究結果がある。今から思うと前頭部に刺激をあたえることで脳のアンバランスを整えていたのかな、と思う。必要性がなくなったためか、今はなくなってしまったけどね。
そのほかにも触感過敏、視覚過敏、嗅覚過敏など、エピソードを挙げたら切りがない。
そうとう手のかかる面倒くさい子供だった。
母は心配したり苦労したと思うけど、複雑な家の事情の中で、私の心配をすることで気が紛れる部分もあったかもしれない、と今なら思う。
感覚過敏を「炭鉱のカナリア」だと表現する人もいる。炭鉱では酸素不足や有害ガスが発生する場合がある。カナリアは人間より先に環境の変化、危機をいち早く気づいて知らせる存在だ。
今、特性のある発達障害当事者が増えたり生きづらくなっているのは、普通の感覚では察知できない何か大きな変化が周りの環境に起きているからかもしれない。
アスペルガーのことがよくわかる、おすすめの本
アスペルガーを生きる子供たちへ
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