からだの違和感や不調は
「こっちに意識を向けて下さい!」
つまりは「かまって下さい!!」の切実な叫びに他ならない。
ではどんなやり方でやったらいいの?
それはそれぞれのからだが知っている。
それぞれのからだに答えをきけばいいだけなのだ。
そんな誰にでもできる簡単なことがどうしてこれほど難しくなってしまったのか。
からだという自然からの声を受信する内部感覚回路が働きづらく通りづらくなってしまったのはなぜなのか?
一つは使われるべきものが使われなくなってしまったことに原因があると思う。
楽や快適を求めた結果、からだを使わないことによる不調を引き起こすなんて、人間って賢いのかバカなのかわからないね、と野生動物は言っているかな?
いのちはゆらぎの中で絶妙なバランスをとっている。
便利で快適な生活によってそのからだのバランス感覚すら見失なわれつつあるという矛盾の中にいるわたしたち。
それを自身のからだではなくて外側にある何物かに求めようとするから、どこか見当外れになってしまうのだ。
からだに触れているとからだがどうしたいのか伝わる時がある。
からだから言語化を促される時がある。
伝えていいか否かもからだから伝わってくる。
なんと賢くも尊いからだであることよ!
不思議な人と人とのつながりのご縁で今目の前にいるからだに向き合うものはわたしのからだという自然そのものだ。
尊く賢いからだの感覚を言葉にするなら
「今ここ感覚」
施術中で出てくる言葉も今ここ限り、毎回違う。
からだに触れながら言葉を話しながら、われながらいいこといっているなあ、と感心してしまうが終わると何を言ったのか忘れてしまっている、残念!
まるで気持ちいい夢から覚めてしまう感覚だ。
からだとつながっている時だけの言葉こそ生きた意味のある言葉なのだと思う。
ワタシにとってはからだとつながっている時の方が現実感あり生きている感がある。
つながっていない時の言葉の方が客観的だ、社会的だ、常識的だ、と重要視されているように感じる今の世の中こそ、長い長い夢の中にいるんじゃないかと思う時がある。
、、今日のお客様へのからだからのアドバイスは
「手首足首をランダムに動かすこと」
お客様へのアドバイスは施術者側のからだへのアドバイスでもあるのも面白い。
癒しは間違いなく双方向のエネルギーのやり取りの中で起きている。
手足が冷えたりしびれたりしたときはブラブラ振るといい。
振戦(しんせん)はいのちの流れを促す動きだ。
振るえは冷えとりの動きだという当たり前のことに気づかせてもらいました。
写真は娘からの誕生日プレゼントガチャポンのカエルシリーズ(名前忘れた)招きカエルとしてお客様を迎えております。
今後仲間増える予定!