小学校時代の修学旅行で訪れた京都三十三間堂は、私にとって忘れがたい「人生の問い」が生まれた場所だ。
それは膨大な金色の千体の仏像を前にして圧倒されていた時、当時の担任の先生が呟いた一言がきっかけだった。
「ここの仏像はみんな明美みたいな顔しているなあ、、、、」
当時小学5、6年時のクラス担任だった石川先生は、大人に対して
「全うな人間とはこういうもの」
をはじめてわたしに感じさせてくれた先生だった。
卒業式の時、それぞれが大切にしている言葉を卒業の寄せ書きに書いた。
「『素直な心』かあ、、、うん、これが一番大切なんだよなあ。」としみじみつぶやいていた先生の横顔は今も印象深く忘れがたい。
一人の人間の人生経験から出た言葉は、先生と生徒という立場を越え、そういうものしか本当にこころには響かないのだ、ということを身を以て教えてくれた先生でもあった。
そんな先生からこぼれ出た一言は、単に一重瞼で鼻の低い平面顔具合が似ている、といった表層的な意味(もちろんそこも含まれていたのも確かだろうが、、、)だけではない、という感覚をもたらした。
この仏像達と似ている「わたし」とは何か、仏像達とわたしとの共通点とは何か、そしてはるか昔に造られたこの仏像達が今ここに存在している理由、存在意義は何なのか、という問いがその一言から生まれたのだった。
十代の頃は家にあった美術全集をめくりながら、様々な仏像の写真を眺めながらそこを問い続けた。
当時は明確に言語化できなかったけれど、今から振り返るとそれは人間とは何か、人が生きる理由や目的とは何か、ひいては自分が生きるとは何か、を自らに問い続ける過程でもあった。
自我の執着に由来する人間の苦悩が脱落した後に顕れる仏性ともいうべきものへの探求は、一歩間違えば文字通りの仏になる危うさも同時に存在していた、断崖絶壁の細い迷路を一人手探りで歩いていたあの時期のわたしを照らし支え続けてくれた。
永遠普遍な時空に存在する時間と空間を超越するなにか。
此岸と彼岸をつなぐもの。
時空を越えて人の魂を震わす存在にはもれなく「それ」が内包されている。
形あるものに永遠の命である仏性を表現しえた名もない仏師たちは、
これらの仏像に向き合う過程で同じ仏性を生きていたにちがいない。
あの時に生まれた問いに今のわたしは真摯に向き合えているのかどうか、、、
久しぶりに写真ではない本物を目の前にしてそう仏像が問いかけてくるようだった。
永遠の一瞬を内包する仏像から揺り起こされる魂の共鳴。
そんな魂を震わせるような仏像を造れる人になりたい!とあの時のわたしは確かに願ったのだ。
今の整体師としての仕事は仏像を造るものではないけれど人のからだに触れて整えていく一連の流れは永遠の川の流れに身を委ねながら垣間見える光に手を伸ばしつかもうとする感覚に似ている。
おそらく往時の仏師たちがそうであったように。
どんな仕事でもそこに触れて自らを通して表現し得るものであるならば天職なのだろう。
なぜこの仕事をしているのか
という仕事の定義は
外から与えられるものではなく
人生をかけて問い続けるもの
それは生きるとはなにか
と同義語でもある。
どんな仕事をするか?の問いはどのように仕事をしたいか、どのように生きたいかと同じ。
仕事に貴賤はない、というのはこの境地においてはじめて意味を持つ言葉なのだろう。
石川先生は当時四十歳前後だったはずだからご健在ならば九十歳前後。
会えるものなら再会して
あの時の先生の一言がわたしをここまで生かしてくれました、と伝えたい。
教え子に「問い」を生起させる「存在の力」を持つ人、こういう先生を恩師というのだろう。
そういう恩師と出逢えることはそれだけで幸せなことなのだと思う。
人が人の中に生き続ける、それは仏像が今も大切に守られ存在していることと同じこと。
数十年振りの京都三十三間堂再訪、この歳になると、物としての記念品はいらない。
この文章書けたから満足。
日常をはなれて旅することの醍醐味はいつもここに繋がっている。
人生とは。。。自分への旅である。。。
いい旅は人を哲学者にさせるよね。
そういえば京都名所に「哲学の道」ってあったな、次回はそこを歩いてみたい。
※写真はネット上からお借りしました