昨夜たまたま眺めていたFBで知った「うんこ漢字ドリル」。小学一年生から六年生まで学ぶ、すべての漢字の例文3018個にうんこを使うという学習書で、例文を読んで笑い過ぎて脳が活性化したためか朝から「うんこ」妄想が止まらなくなってしまった。

【績】会社にうんこの絵をかざったところ、業績があがったそうだ【英】英語さえわかればアメリカ人ともうんこの話ができるのに【害】公害問題が気になってうんこが出てこない【誠】一回一回のうんこを誠実に積み上げてきた【量】そんな量のうんこはトイレに入りきらない、傑作まだまだ……例文あげたらきりがない!

誰でも経験あるはず、おトイレに行ける状況でなかったの時にもよおしてしまった時、意識すればするほどヤバい感じ、解決法はただ一つ『出すこと』。というわけで、、、頭の中の妄想を出したいと思います。

うちの長男と次男が子供の頃、一時期何でも語尾の後に「うんこ」をつけて話すことにはまっていた。「それほしいうんこ!」「いやだうんこ!」「おいしいうんこ!」、、、赤ちゃん絵本に『みんなうんち』なるものがあって毎日読み聞かせしていたせいなのか??とも思ったけど、他のお母さんたちに聞いたらうちも同じよ~とのこと。うんこ言葉に反応する大人をからかうようにうんこ連発するくせに「そんなに言うんだったらうんこ出すとこ見てあげるよ」(真面目に)と言うと逃げていく。うんこ言葉連発は間もなくなくなってしまったけれど、そのあとに耳にしたのが男子トイレで個室(おしっこ以外はここだよね)に入るとからかわれるから我慢して便秘になってしまう子がいる、という話。確か小学校高学年の時の話だった。自我が芽生えて他人の視線が気になる年頃だとはいえ、そこまで気にしてしまうことに当時何か尋常ではないものを感じたものです。

生まれてからそんなに年数経っていない子供にとって自分から生み出されたもの、自分の体から出るものに関心を持つことは至極当たり前のこと、それがいつからか何か汚いもの、不浄なものとして隠すべき対象になり、人から隠れて処理して、なかったことにしたいものとなる。この過程はとても興味深い。排泄に羞恥心を持つのは人間だけなのか、また日本人だからなのかどうかはわからないが(中国にいたころは扉のないトイレがあって大も小もおしゃべりしながらしている現地の人にカルチャーショックうけた)、自分から生まれて出るものに対して、何らかの羞恥心が私たちの中にあるのかもしれない。

うんこ連呼して許されるのは子供時代だけ、思ったことストレ-トに言って許されるのも子供時代だけ、子供も大人も食べれば出るという体の働きは同じ、もちろん心の働きも同じ、だけど大人は思ったことを言ってはいけないし、出したいものを我慢しなければならない。便秘で悩んでいるひとが多いのは、食べ物とか腸内環境とか原因はあるけれども、入れることには熱心だけれども出すことや出すものに対して抵抗があるこころの働きのせいなのかもしれない。

子供の頃の「うんこ」言葉連発は自分や自分を通して生まれたものを表現したい、という人間の本能の発露なのかしらん、「うんこ漢字ドリル」がはやることで(これを学校の教材に使う先生がいたら尊敬します!)、まずはうんこが恥かしいものでなくなってほしいし(小学生で便秘なんて!早すぎる)、うんこ礼賛から自分から出す言葉や態度に自信が持てる子供が増えたらいいなあ、と思います。これが話題になって大人にも受けているってことは、大人もホントは出したいんだよね、臆することなく出していた頃に対する郷愁なんだろうか、、、ってそれ私だった(◎_◎;)

他にも、認知症の問題行動である「弄便」(自身の排泄物をいじること)について、うんこと腸内細菌、体と心との関係等々、「うんこ」から生じた妄想が止まらず頭の中はうんこでいっぱいなんですが、、、フンばることに(パソコンに向かうことに)疲れたので今日はここまで、、、あ~スッキリした!