『永遠の一瞬』という言葉はどこかの小説や随筆で見たものなのか、それとも自分の造語なのか、定かではありません。この言葉を意識したのは中学生の頃です。それよりもずっと以前の、物心つくころからこの言葉でしか表現しようのない感覚を体験していて、中学生の時にこの感覚を言葉にして表現したい、という強烈な欲求が沸き起こったのを覚えています。3か月しか行かなかった高校で文芸部にいた時に作った文芸冊子に載せた詩の題名の一つでした。
その時のペンネ-ムは『西夏』。井上靖の小説が好きで(当時手に入る全作品を読破、オタクでしたね~!)、『敦煌』『楼蘭』『西域物語』『蒼き狼』等々、西域シリ-ズ大好きだったので多分そこからつけたんでしょう、シルクロード沿いに栄え、チンギスハンによって滅亡された王国の名前でした。そういえば当時NHKで放映していた『シルクロード』という番組、喜太郎のシンセサイザーの音楽とラクダの映像と石坂浩二のナレ-ション、毎回見るたびに懐かしさと、ここに行きたい!感でワクワクドキドキしていました。話がそれちゃいましたが、、、『西夏』名前で書いた詩の内容は忘れてしまったのですが、表現したかったものはいまだに鮮明です。
言葉そのまま、永遠であり一瞬であり、時間の流れを越えて、過去でもあり未来でもあり、自分であり自分でない、そんな時空を超え、自他を超えた感覚を表現したかった。でもそれはとても困難で書いては消し書いては消し、の繰り返し。書くたびに違和感いっぱい、こんなんじゃない!の繰り返し。あの時の冊子は今はないけど、当時の精一杯だった自分を懐かしく思い出します。結局間もなく高校は中退してしまって、その後紆余曲折の末、中国へ行き、敦煌(かっての西夏王国)の地に立った時は感無量でした。。。
永遠の一瞬は突然現れる。片目でしか世界を見ていなかった状態から、両目で世界を見る瞬間。水の中にいるような質感と静寂の世界。いつ起こるかまるで予測のつかない至福の時。切羽詰まった事態に直面しても、なぜか「大丈夫」「なんとかなる」という絶対の安心感が生まれてくる源。それは「いのちの本質に触れた瞬間」。
『永遠の一瞬』について、これまでの人生の中で訪れた数えきれない『永遠の一瞬』を書いてみたくなった。
……今一番書きたいのは小学生の頃「光るどろだんご」作っている時に訪れた『永遠の一瞬』ですね、実は来月8月に「光るどろだんご」のワ-クショップに参加する予定、今から楽しみ、ワクワク☆☆
子供の頃の夢は本屋さんになること、小説家になること、宇宙飛行士になること。職業としてはなれなかったけど、いつでも本は読めるし、こうして書きたいことブログに書けるし、自身のこころの宇宙を探求することもできる。やりたかったことはすべて叶っている。。。と気がついた一瞬でありました。