光るどろだんご作りに熱中したのは、小学校2、3年の頃。その頃住んでいた横浜市は、関東ロ-ム層という粘土質の土壌で、雨が降ると舗装されていない道はぐちょぐちょになり、靴がくっついて脱げてしまったり、乾くと足跡がついたまま固まってしまう、そんな道を自転車で通ろうものならハンドルとられてフラフラ、ガタガタ振動でおしりビリビリ、当時はまだそんな道があちこち残っていた。
どろだんごやどろ山をこしらえてそれを磨いて光らせる、なんて遊びをどうして考え出したのか定かではないが、そんな土壌で遊んでいて偶然に始めたことだったと思う。水で湿らせた土を盛り上げたり、丸めたり、固く固く押し固めながら形を整えていく。空気が入らないように丁寧に押し固めていく、ここで手を抜くと仕上がりがきれいにならないので入念に。凸凹がないように表面をならすのは至難の業で、少しずつ土を足していかないと形が悪くなってしまうので焦りは禁物。一旦押し固めると粘土質のため、削ったり押し込んだりは不可能、考えた末に編み出したのは目の粗い砂粒をかけて摩擦して表面を滑らかにするという方法、近くの道路工事中の現場から粗砂を失敬してきたこともあったっけ。何段階もの砂粒研磨を経て最後の仕上げは、ほこりのように舞い上がる粉砂糖のような目が細かく乾いた泥粉末をかき集めてきて、どろ山の表面をこする。素焼きの陶器のようにザラザラしていた表面が次第に光沢を帯びはじめ、釉をかけたような青黒いつやが出てくる。素材の泥からは想像もできない色と光沢にドキドキしながら、心を込めて丁寧に何度も泥粉末をかけてはこするを淡々と繰り返す。気がつくと暗くなっていた、なんてことがしょっちゅうだった。
はじめは一人でやっていたのが、2人になり3人になり、、しまいには近所の子供たち(男の子が多かったな)が集まって集団でどろ山やどろだんごを光らす作業に熱中していた。いくつも作って行く中でうまくいったところ、失敗したことなど、発見したことをみんなで教え合い、究極の光るどろ山、光るどろだんごを目指していく過程は楽しくて楽しくて、学校に言っている間も、早く家に帰って作業したいなあ、って思っていたくらい。当時、学校になじめず、クラスの中でからかいやいじめの対象になっていたので余計そう思っていたのかもしれない。言ってみれば光るどろだんご作りの『考案者』だったし、誰よりも手早く、光らせることができたので「あけちゃん、コツを教えて!」と言われるのは嬉しくもあり、誇らしくもあり、「光らせるには、磨く時に使う材料と手つきが大事なんだよ!」なんて言いながら磨き方の指導までしたり。。。学校から外の世界に自分の輝ける居場所があった。
一心不乱に磨いていたある時、ふと手のひらを返してみた。手のひらには泥が分厚くこびりついていて、得も言えぬ光沢を放っていた。それを目にした一刹那、『それ』はやってきた。
過去であり未来であり、自分であり自分でない、自分の手のひらが光るどろだんごなのか、光るどろだんごが自分の手なのか、自分が自分でなくなる、時間と空間を超越した『永遠の一瞬』。
言葉にしたくてもそう思った途端にこぼれ落ちていってしまう、言葉を超えた完全無欠の状態。懐かしさと切なさと、でもここが自分の帰る場所だと知っている、リアルな既視感。
記憶喪失になったことないけれど、記憶が戻った時ってこんな感じなんだろうか?
子供時代の幸せな記憶はいつもこの『永遠の一瞬』と共にある。
幸せってなんだろう? 生きるってどういうことなんだろう?
この問いに対する私の答えは、
『永遠の一瞬』を生きること
純粋さと誠実さとたゆまぬ努力と工夫と反復と、、、、その先に『永遠の一瞬』は訪れる。
大人になってもそれは全く変わらない。
日々の仕事の中で、施術後、お客様の顔が輝く瞬間、それが私が輝く瞬間―『永遠の一瞬』
いのちの光を遮っている障害物を取り除いて丁寧に磨き上げた先に現れる輝きを見いだすこと、それはもともと光の中にいることを思い出させてくれる瞬間であり、いのちの輝きに触れる瞬間でもある。。。
今の仕事も光るどろだんご作りと全く同じだったって気付いた瞬間もまた『永遠の一瞬』。
光るどろだんごに熱中したあの頃と同じ情熱を持って仕事ができる、こんなに幸せなことはないと思っています。
唯一の問題は時間を超越(笑)してしまうこと。でもそれが逆に喜んでもらえる仕事ってそうそうないんじゃないかしら。
この仕事に出会えたこと、続けられていること、支えてくれている家族、そしてお客様、すべてに感謝の気持ちで一杯です。。