昨日このFBのひとりごとシリーズを見て自分と重なる部分が多いので気になっていた、という方が来てくれた。

お話しだけかと思っていたけど施術もお願いって言ってくれて。ゆっくりお話しができて嬉しかったな、人とコミュニケーションとるときにつきまとう違和感を同じ感覚で分かち合うことはわたしにとっても癒しだった。
施術する側だけど実は癒される側になっていた。
そうなるとわたしは一瞬で時間の制限を越えてしまう。
一般の仕事ならばそれはアウトだ、ほとんどの仕事は時間内にできること、効率化、短縮できればできるほどいい、という価値観で動いている。時間オーバーが逆に喜ばれる仕事は少ないのではないだろうか。つくづくいい仕事をさせてもらっていると思う。

効率化によって得られるものはたくさんあるだろうけれど逆に失ってしまったものも大きい。アスペの特性はこの効率化になじまない。
段取りがうまくできない、計画性がない、時間内に効率よくできない、独自のこだわりが強い、など仕事できない人間のレッテルが貼られてしまう原因の一つになっている。
それでも一般の会社組織では使いものにならないと言われるその部分が生かされる仕事はあるものだ。
それは効率化によってすり減らして鈍くなってしまった部分を蘇らせるきっかけになるようなことなのかもしれない。

これからは今までになかった仕事がどんどん生まれてくるだろう。
効率化によって失ってしまったものを取り戻そうという時代の風が新たな仕事を生むだろう。
その時に効率化になじまないアスペの特性が生かされるに違いないと確信している。

、、、つらいとき人はアドバイスを求めているんじゃなく、深く共感してもらうこと、まるごと受けとめてもらえることを求めている。
まるごと受けとめてもらえると自分自身をまるごと受けとめられるようになる。
自分をまるごと受けとめられると人をまるごと受けとめられるようになる。人は一人では生きていけない。
人とコミュニケーションが苦手なアスペも同じ、苦手だからこそ、つらいことが多いからこそ、苦しいからこそ真摯に求める。相手と深くつながることを求める。それってすごく効率悪いけど豊かなことなんじゃないだろうか。

最近、人生は障害物レースだなあと感じることがある。障害物が簡単にクリアできるものであるならばちっとも面白くない。障害はクリアが難しければ難しいほどレースは面白いしやりがいがある。最近は自分は平穏無事では面白くないからアスペという目にみえない特性を持って障害物レースを楽しんでいるんじゃないか、と思うことがある。刺激や痛みすら快感に変えてしまいたいという貪欲なM気質なんじゃなかろうか(笑)と。

そんなふうに特性をみれるようになったのはまるごと受けとめてくれる人がまわりにいることと、その特性を生かした仕事で人とつながれているからだ。そう思うと感謝しかない。
恩送りという言葉があるけれど、その恩をわたしだけではなく誰かに渡したいとこころから思う。
自分が楽しくてしょうがない、それが気づいたら人のためにもなっていた。仕事の本質はそんなところにあって、仕事の喜びもそんなところにあるんじゃないかな。そしてそれは人生の、生きる喜びにもつながっている。
そこは効率化とか売上がどうとかなんて一切ない世界。
本当はみんなそんな世界に行きたいんじゃないだろうか。

発達障害の支援、と言われているけれど今必要なのは表面的な支援ではなく、お互いまるごと受けとめ合い深い共感が生まれる場作りだと思う。そんな場であるならば障害や特性は個性の一つとして認められて尊重されるだろう。
効率化によって失われたものはそんな人と人とのつながり、場、なんだと思う。

振り返れば自分の仕事も伊那谷スタイルでやりたいこともみなここにつながっている。今の社会の価値観に合わせようとすると苦しくなってしまうのは当たり前だったなあ。気づかされるのはいつも深い共感からだ。

深い共感からは深い気づきが生まれる。駒funのアイデアもいっぱい涌き出てきた。
たくさん笑ったなあ。「養」ふんどし、「光」ふんどし😂😂イメージできた

すべてに感謝、ありがとう。

※写真は近くの住宅展示場にあったディスプレイ。ふだん物欲はあまりないんだけど、このカエルは強烈に「欲しい」と思った😍
何なのかなあこの感覚は、どこからくるのかなあ?色づかい?触感?後ろ姿?
アスペ特有の感覚にヒットする何かがあるのだろうか?もしかするとこれ作った人もアスペなのかな?