「いまここ」の体感覚が優位なアスペ

 

社会性がない
つまり社会的常識に疎い、自分のことしか考えていない、
冗談や皮肉がわからない、言葉を字義どおりに受けとめる、

などと言われてしまう特性は

アスペは自分の体感覚への神経回路が開いている(回路が太い?回路が広い?回路が敏感?)からだと思われる、というお話し。

社会性や言語というものはもともと自分の個の体感覚から生まれでたものではあるが、そこから離れて存在している概念でもある。

その体感覚を概念として発達させることで幅広いコミュニケーションが可能になり文化文明が産み出され科学技術が発展して今の豊かな生活がある。

もともと個の体感覚から生まれたものであって個の最大公約数的なものが社会性や言語である。人間は社会的動物である、と定義したのはアリストテレス。個という体感覚と社会という概念を内包しているのが人間といえる。

脳科学の専門家ではない私自身の見解だけれど
アスペは人間が社会的動物になるために発達させた概念ではなく発達させる前にすでに存在している「いまここ」の体感覚が優位な種族ではないかと思われる。

・同時進行で複数のことを処理できない
・忘れっぽい
・人の気持ちがわからない
・計画を立てるのが苦手で行き当たりばったり
・片付けができない
・感覚過敏がある
、、、、
という特性もここに起因している。

おおざっぱに分ければ
大脳新皮質的コミュニケーションが社会性コミュニケーション
大脳旧皮質的コミュニケーションが体感覚的コミュニケーション、つまりアスペ的コミュニケーション。
といえるかな。(脳科学に関する本も今はいろいろ出ているから、いい本あったらご紹介下さい😌😌)

優位、というよりその部分で自分の外界、他者とコミュニケーションしている感じである。

以前アスペをはじめとする発達障害は一種の「先祖がえり現象」ではないか、と書いたことがあったが、概念化した実態のない社会に適応できないのは、言葉が生まれてくる元が違うというか、個人の体感覚から切り離していない言葉を使うコミュニケーションをしているからだと感じている。

わたしが言葉だけのコミュニケーションがうまくできず苦手感があり、体を伴ったコミュニケーションはうまくできる感覚があるのは、コミュニケーションを成り立たせている部分、生まれてくる部分が違うからだ。

人が心身を病むのは、体感覚から切り離した世界に居続けたために、もしくは社会という場に適応するために体感覚から自分を切り離し続けもはや体感覚への戻り方を忘れてしまった、体感覚が麻痺してしまった、という状態が長く続いたことから生じてくる、というのが、長年お客様のからだに触れて体感覚で感じ言語化したわたしの見解だ。

アスペはもともとこの体感覚優位で生きている。それは体感覚から切り離され抽象化された社会性の関係のなかではうまく伝わらないばかりか自分本位で自分勝手であるという誤解が生じる。

違和感、異和感の正体はこの言葉が生まれてくる部分が違うということだ。

アスペが同じ言葉を使っているのにまるで異邦人か宇宙人のように自他ともに感じてしまう理由はここにある。

自分を振り返るとアスペだったからこそ今の仕事をしているという必然性(これしかできなかった、と思っていたがアスペだからこそやれている)を感じるし、体感覚に目を向ける、体感覚を取り戻すきっかけとして駒fun
を広める、という発想で伊那谷スタイルも立ち上げられた。

先日学んだプレゼンスリーダーシップ

リーダーに不可欠な影響力は
プレゼンス(存在感)
プレゼンスを育てるのは身体性つまり体感覚
体感覚につながる神経回路をきたえることがこれからのリーダーに必要なこと、という内容はまさに我が意を得たり!

この新しいリーダーシップを体感覚から変えていくことで育てていく実践講座の創始者でボディワーカーの小笠原和葉さんも、ふんどしの効果効能を話したらすぐに通じたし、驚いたことにすでに女性用の下着(締め付けないリラックスを促すもの)を開発中という。同じ方向だと思って超嬉しかった!

体感覚に意識を向ける、が時代の最先端
だとしたら意識しなくても体感覚で生きているアスペはじめ発達障害と言われる人たちは最先端を地で行っていることになる。

そういえば経営者、特に創業者には発達障害的要素がある、と感じたことがある。芸術家や発明家もまた然り。
これまてになかった新しいことをはじめる者にとっては社会性よりも個人的体感覚の優位性が必要だということだろう。

社会性は本来生き延びるために集団で協力することが必要だった人間が発達させてきたもの、同じ価値観や同じ感性で動くことで、合理化、効率化が進み日本は経済大国になれた。

その裏で社会性を身につけることによって、社会に適応することが求められる場において、ずっと置き去りにされてきたものが体感覚。

その体感覚をとりもどすことこそ、自分をとりもどすこと、自分の存在を受け容れることにつながっていく。

アスペはじめ発達障害といわれてしまう困った特性の元にあるものが実は新しい時代のあり方を牽引していくものであるということに、すでに多くの人が気づきはじめているのを感じている。

、、、つづく

※写真はテキストの一部と
サロンの名前の鉱石フローライトに赤ふんどしをはかせた図(笑)

感性から湧いてくるものが存在感であり、その人らしさであり、リーダーシップでもある。

フローライト(わたしには人がみなこのフローライトのように美しさを秘めた鉱石にみえる)の中にある美しい輝きにフローライト自ら気づくには赤ふんどしによってリラックスして体感覚を取り戻してこそ、、というイメージを具象化したもの。

わたしの頭の中はいつもこんなことでいっぱいだ😁😁
下着に夢を持つ普通の女子の仲間入りができないのも無理はない😅😅