いのちとは何か?、生きるとは何か?、こころとは何か?、からだとは何か?、そして人間とは何か?

【必然の出逢い】

今回の上海行きは国際内観会議への参加が目的でしたが、それでも9月後半は予定が目白押しで、わたしにしては即断即決という訳には行きませんでした。
それでもいつも行き当りバッチリのワタシ、行ったら「このために来たんだ!」ということが分かるだろうと確信ありましたが、まさかまさか!の出逢いがありました。

私の大学での卒論テーマは「黄帝内経における心身観」で、いのちとは何か?、生きるとは何か?、こころとは何か?、からだとは何か?、そして人間とは何か?等の様々な根源的な問いに対し、中国の医学哲学古典における「神」「精」「氣」の概念から見いだそうとしていました。

なんとか自分なりに自分を納得させる答えを見い出だして表現したかったけれどもうまくいかずに苦しみました。
当時のノートに「うまくまとめようとすると垣間見た深淵な世界が姿を消してしまう、言語化する、表現するには自分の力不足を感じる」と書いた記憶があります。

このテーマで学び続けて研究者として生きていきたい、と大学院にも進みましたが志し半ばでからだを壊し中途半端なまま、東京から駒ヶ根へ、結婚出産子育てそして仕事、と目まぐるしく月日は流れ過ぎ、気がついたら30年。。。

今回の会議と宿泊場所だった恒南書院は、現代中国の精神的支柱として知らない人はいないという南懐瑾の生誕百周年を記念して建てられたそうです。

そこの図書室に展示されている膨大な著作の中に私の研究テーマそのものの著作を見つけた時はビックリして、思わず「私の研究テーマがこの分野で、あのときこれらの本があったらどんなによかったかと思います!」と近くにいた案内人に興奮して中国語で話していました。
そうしたら次の日にはその本が用意されていて、、、
感激でした!(プレゼントして頂きました)

この時ほど中国語勉強しといてよかった!と思った時はなかった。

振り返れば、
3年前に思わぬご縁で7日間の集中内観を体験したこと、
黄帝内経を研究テーマにしていたこと、
中途半端に終わってしまってまた学びなおしたい、とずっと想い続けていたこと、
とりつかれたように中国語を学んだ時期があったこと、
からだを扱う仕事をしていること、
、、、、、

様々なことがすべて繋がってきている、、、
人間関係がうまく構築できず、また自分の内面世界をうまく言語化できず劣等感いっぱいだった大学院生時代、、、
からだを壊して研究を続けることができなくなりやめざるをえなかった情けなさ、、、

マイナスに思えたこともすべてが今のこの時、これからのためにある、とさらにさらに確信できた出来事でした。
パズルのピースがどんどん合わさっていく感覚です。

私の中には私を通して表現されたがっている、体験したがっている「もの」があって、それが私に様々な学びの場を用意してきてくれたし、これからも導いてくれると確信しています。

一生かけて追究していけるテーマに10代の時にすでに出逢えていること、そのためにあの苦しみがあったのだ、とあの当時のすべてに感謝できることに感謝です。これも内観のおかげですね。

秋の読書📖👓が楽しみ
一生勉強、幸せ😆🍀
そのために健康が大事、使命を果すには健全なからだとこころが必要なんですね、自分の仕事の意義も再認識できました。

南先生の本は日本で出版されていました!

恒南書院
学ぶに相応しい静かな環境です

内視観想と書いてあります。中国では「内観」とそのまま言うと宗教と誤解されるおそれがあるとのこと。

わたしの研究テーマそのものだったので思わず大学の卒論出してきて読み返しました。

求むる有ればみな苦なり
欲すこと無ければ則ち剛なり
「剛」は強い、頑丈、揺らがない、不動、という意味。

床も柱もみな大理石、どれだけお金かけているんだろう、、、と思う。