アスペルガーの生きづらさは感覚過敏が原因?

アスペの生きづらさは様々な原因あるけれどやはり感覚過敏によるところが大きいと思う。

聴覚過敏

分かりやすいのは聴覚過敏、聞きたい音だけ聞こうとしても同時に周囲の雑音も入ってきてしまうので聞き取るのにとても集中力が要る。宴会や飲み会の場では相手の口元近くに耳を持って行かないとよく聞こえない。自分にとって必要のない音は無意識に聞こえない、という取捨選択の機能が欠落している感じだ。

概して人が多くてザワザワする場所には足が向かない。イベントなどは興味や目当てがあったり強烈な目的意識がある場合のみ。

毎回東京から駒ヶ根に帰って来るとホッとする感じになるのは、もちろん標高や自然が豊かで空気が違うということもあるけれど、一番は音がしないことだ。人が多ければ多いほど音も多い(音の中には気配みたいなものも含まれる、、、想念みたいなものかもしれないが、それについての感覚はまた次の機会に、、、)
一人になりたがる傾向性は性格というより感覚過敏によるところが大きいと思う。

触覚過敏

肌感覚にも独特な過敏さがある。

子供の頃身に付ける服の好き嫌いが激しくて、母は苦労していた。お気に入りはダブダブ、ヨレヨレのゆるい感じのもの。きっちりした服を着るとキツい感じが気になって気になって落ち着かない感じになった。

今のお気に入りはユニクロの綿100%のゆるいタートルネック。温かいなら、とヒートテック(ポリエステル100%)試してみたけどダメだった。着た瞬間に温かいのだが何ともいえない違和感があってイヤな感じがして、綿100%の同じタイプに着替えると違和感がなくなる。
違和感を言葉にするとしたら「肌の緊張」かな。
自然素材はからだがゆるむ感じになる。

触覚過敏のエピソードとして笑えるのは、
何の気なしにポンと肩とかたたかれると、飛び上がらんばかりなリアクションをしてしまうこと。今でも私のリアクションに相手がビックリ!!なんてことがよくある。

子供の頃は学校でそれがからかいのネタだった。
授業中に後ろから指や鉛筆でつつかれると「ШИД×♯☆∞!!」
意味不明な声とリアクションが出てしまうので、いたずらっ子の恰好な標的になっていた。
超恥ずかしいことだったけど「ちょっと風変わりな優等生キャラ」という設定で笑いをとりながら何とか適応していた。。。
当時あまりにクラスメイトが面白がるから、お笑いの才能があるのかもしれないから将来吉本に行った方がいいのか?、と(真剣に)思ったこともあった😅、、、(遠い目)

振り返るとわたしにとって学校はまるでユニクロのヒートテックのような違和感いっぱいな場所だったんだろう。
自然素材100%な場所(ありのままでくつろげる場所)ではなかったんだな。居続けるためには「キャラ設定」する必要があった。それはかなりエネルギー要ることだったのでいつも緊張して、疲れていて、結局中2の終わりくらいでフェードアウト。。。

こうして振り返ると、いかに適応するか、にものすごく頑張っていたんだなあ。それくらいあの当時は学校に行けない、行かれないことは人間失格の烙印を捺されるような恐怖があった。
今の学校はどうなんだろう、不登校に対して以前より前向きにとらえるようにはなっていると思うけれど、本人にとっても家族にとっても大多数の方向から外れてしまうことはやはり怖いことなんじゃないか、と想像する。
ありのままの感覚を表現するとからかいやいじめの対象になってしまう、、
、それは子供の世界だけでなく大人の世界でもそうなんだろう。
最近では国連の温暖化サミットで演説したグレタさんに対する反響をみてもそう感じた。そういえばグレタさんはアスペだと自分で公表している。

感覚過敏のマイナス面があればプラスも同時にあるもので、この肌感覚の過敏さ、触覚過敏は今の整体の仕事には大いに役立っていると感じる。
施術を絶賛してくれるお客様が一様に言うのが、
そこそこ!というところ、ほぐして欲しいところに手がくるんだよね~」というもの。

これは努力して身に付けた感覚ではなく元からあった感覚で、理屈抜きに考えることなしにやっていることなので、
「どうして分かるの?」と言われても「分かるから分かるの」としか答えようがない感覚だ。

触ると快不快な感覚や違和感が分かる、という感覚は誰でも持っているものだ、とずーっと思っていた。からだを触ればここまで力をいれても大丈夫、とか、ここをずっとやってもらいたいんだな、とかいった感覚が瞬時に分かるのだ(分かるという意識すらない)。逆に分からないという感覚が分からない。

この当たり前の感覚がほめられたり、才能だ!
なんて言われるなんて夢にも思わないことだった。

人並にできなかったり、困ったことを困らないようにする、という方向に焦点が行きやすかったけれど、過敏を和らげる方向とともに生かし方を考える方向にもっともっと意識的になることで、思ってもみなかった部分で人の役に立っていたことがみえてくる。
そうなるとその部分をもっともっと活かしていこう、と貪欲になる。
この方向こそが間違いなくアスペにとっての成長の方向、学びの方向だ。

これをできないことを人並みにできるようにする方向が学び、成長の方向だと思ってしまうと、いつまでたっても人並になれない自分を責め続けることになるし、生きている充実感など感じようがなくなってしまう。

わたしに正しい成長の方向を教えてくれたのはお客様(のからだ)。

お客様(のからだ)は神様だ、と言葉通りの意味で思います!

からだは神様、うそのないありのままを教えてくれる。ありがたいことだと思います。

※駒fun温楽楽2枚も買ってくれたお客様、ゆきえちゃん、ありがとう!😆💕
駒fun普及にかける想いも実は感覚過敏から生れたこと、まだ機会をみて書いていきたいと思います😃