~アスペの流行は遅れてやってきて、時空を超える妄想へとつながって止まらない、、、という話~

自慢じゃないが、世間の流行というものにとことん疎いワタシ。ここ何年かはテレビもないのでニュース等はネットで見かける程度。

2度のオリンピック金メダリストのフィギュアスケート羽生結弦選手のことも、当時、関連本が書店に山積みになっていた時に、「へぇ~2連覇か、イケメンだから写真集も売れるよね~」と冷めた横目で通り過ぎ、特に興味もなかった。ところがところが!!

昨年の年末に行われた全日本選手権で優勝確実だと思われていたのがまさかの2位「絶体王者羽生敗れる!」というネットのニュースをみて俄然ムクムクと興味が湧いた。

得意絶頂意気揚々の時より、失意どん底意気消沈の姿に萌えるという傾向があるワタシ。

逆境におかれた時に人の本質が現れると感じているからなのか?単なるひねくれものなのか?
絶体王者が敗れた?何があったの?気になる~!どれどれ~とユーチューブの動画を見に行ったのが1ヶ月前。

見事にハマってしまった。。。

世間が大騒ぎしていた時には全然興味なかったのに、自分のツボにはまった時は世間の流行もへったくれもなく、マイ流行とばかりに毎日そればっかり眺める日々になってしまった。

アスペが空気読めなかったり、流行も読めない(読まない、というより興味がない)のはマイ流行の方があまりに強烈で魅惑的なためだ。

人が興味持っているから、とか、世間で流行っているから、とかでは全然動機付けされない。

流行はあくまで自分発なのだ。

この「自分の感覚が全てにおいて優先される」という傾向性が、大多数の人にとっては、人の話を聞かない、人の心に寄り添えない、自分勝手等、と思われてしまう要因なのだろう。

興味がある一点に集中して、これ!と思い定めたら一直線、生活の中で余暇時間すべてがそこに注がれることになる。

この集中力と没頭力があれば、大抵のことは短期間に一定以上の水準まで持っていけるはずだ。

アスペ脳は集団の中ではうまく機能しないが、一点集中できる場面では周囲が驚くような力を発揮し成果を残すことができる(こともある😅)

ということで、この1ヶ月で関連動画見まくって「羽生結弦論」を語れるくらいになってしまったよ😅

アスペの強味はここにある。

人がなんと言おうと自分の興味あることにひたすら突き進んでいく力、そのエネルギーはいろいろな意味で強烈なのでいつしかそれが人に何らかのインパクト、影響力を与えるまでになっていくのだ。

もちろんそこには世の中に受入れやすいもの、受入れにくいもの、があるだろうけれどね。

世の中にとって受入れがたいものに興味もって突き進んでしまったアスペは理解されない生きづらさを抱えながら不遇な人生を送るかもしれない。一方興味の対象が大多数にとっての許容範囲にあるものならば、普通に生きていたら想像もできないような世界の別な一面を魅せてくれる存在になるのだろう。

「さかなクン」なんかはそのいい例だよね。(さかなクン大好き💕さかなくんは間違いなくアスペですね)

さかなクンのさかなに対する興味と愛はそれこそ「普通じゃない」。

人目を気にするような「空気を読む(読める)」人だったら、どんなにさかなが好きだったり知識があったとしても、あそこまで突き抜けられなかったんじゃないかと思う。

人がさかなクンに魅せられるのは、自分の興味あること、愛するものにひたすら没頭して、その魅力をみんなに知ってもらいたい、分かち合いたい、という純粋な想い、さかなへの愛が伝わってくるからだ。

でもはじめのうちはそのこだわり、没頭力、さかなへの愛は多分「キモい」「ウザい」と思われていたんじゃないかなあ。

でもその純粋無垢な没頭力に魅力を感じる人がどんどん増えていって、さかなクンは多くの人に知られる唯一無二の存在になっていったのだ。

羽生くんにハマった理由は、さかなクンと共通性があったからだと思う。

オリンピック2連覇の世界王者の演技のレベルはいうまでもないことだが、純粋にスケートを愛する気持ちや、滑っていること自体、難度高い技に挑戦してそれを完成させていくこと自体が快感であり喜びであること、そしてそれが結果を残して多く人と喜びを分かち合うことが更に快感になっているだろうこと、がビンビン伝わってくるからだ。

日本中の期待を背負っているというプレッシャーは相当だと思うが、それをものともしない、自らの快感を突き詰めた先にある理想の状態を追い求めたいという、究極の自己中の、究極の求道者魂を感じてしまうのだ。

動画見ているだけでそれは流れ込んできて、それはもうゾクゾクくる。

生で演技を見たくて世界中追っかけて回る熱烈なファンがいる、と以前ニュースで見た時はまるで人事だったけど、今じゃあ「わかる~わかるよぉ~」と共感の嵐。

みなこの快感を共有したかったのね!
やっとわかったよ~、アスペにも共感力あるあるなのだ。ちょっと遅かったけどね。

オリンピックで金メダル獲ると燃え尽きてしまう選手が多いというフィギュアスケートの世界。
ベストな演技を続けるためには常人には想像もつかないストイックな体調管理が必要なのだろう。
どれだけ練習してもちょっとした調整不良で天と地ほどの差が出てしまう世界。
自分に厳しくないと維持できない、タフな精神力が不可欠な世界。
その中で高みを維持し続け、更なる高みを目指し続けるにためは、好きで楽しくてやむにやまれず、がベースにある無垢で純粋な、その人のもつ本質、生まれてきた使命とでもいうべきものとつながった時の快感が原動力になっているのではないかと思う。

人に影響を与える最も高いレベル、深遠なのものが、この本質そのものとつながった快感から放たれている光、輝きなんだと思う。

ニコニコ動画見ていて、「神ってるwww」というコメントがあって思わず、
言い得て妙!と笑ってしまった😍😍

ホントその通り!

仏像の後ろに着いている光背やイエスキリスト等の聖人が描かれた絵画に付け加えられた光はまさに「神ってる」を表現していたに違いない。

演技後に投げ込まれる大量のプーさんを見ていたら、数十年前のある夜のことが鮮やかに思い出されてきた。

子供の頃住んでいたのはまだ開発されていない林や野山が多く残されていた横浜の郊外。

夏になると近くのアパートの街灯に沢山の虫が集まってきていた。小学校低学年の時だったと思う、カブトやクワガタ、コガネムシを捕獲することに熱中した一時期があった。
彼らは夜行性だから夜かなり遅い時間まで街灯の下に張り付いていなければならない。

真っ暗な夜空に煌々と明るく輝く街灯、その周りを乱舞する無数の虫たち。。。

地べたに座って見上げながら、考えていた。

虫たちはなぜ光に吸い寄せられるんだろう?
ぶつかりながらも飽きることなく回り続ける、ここまで一心不乱にさせているものはいったい何なのだろうか?
そして何のためにこの虫たちは存在しているのか、と。

朝一番にその場所へ行ってみると、
たくさんの虫の死骸が散らばっていた。

それを目にしたあの時のワタシは確かに祇園精舎の鐘の音(諸行無常の響きあり!)を聞いていたのだ。。。

いのちの熱狂とその儚さを、それでも虫たちは全うしたのだ、幸せだったのだ、という永遠の一瞬を。

リンクに投げ入れられる無数のプーさんは、まさにいのちの輝きから放たれる光に熱狂した無数の幸せな「いのち」の残骸だったのだ。

、、、ああ何ということだ、あの時の「問い」への答えが数十年後、リンクに投げ込まれた無数のプーさんからやってくるとは!!

神ってる羽生くんの周りを乱舞する虫の快感?が頭から離れずに、ついつい動画見に走ってしまうワタシを誰か止めて~~!!

。。。明日には寝不足により残骸と成り果ててしまうかもしれない。。。。