変人、と聞くと、だいたいの人は、変わった人、人と違う人、のように「変」を形容詞的に解釈している。
漢文的にみると、人を変える、と読める。変は動詞でもあるのだ。
「変態」の言葉は「変」に2つの側面があることを教えてくれる一例だ。
変な態、と読めば「ヘンタイ」だし、態を変える、と読めば、サナギが蝶に羽化するトランスフォーメーションの「変態」だ。
「変人」という言葉を目にした時に、自分とは違う感覚を持った変な人、と解釈するのか、
人を変える(この「人」の概念には自分自身も含まれる)、と解釈するのか、2つの方向がある。
後者で解釈する人は稀だろうけれどね。
だが、分けて考える必要はないのだ、と気がついた
「変な人」と解釈した時点で、つまり変を認めた時点で、すでに意識は今までと同じではなく変わっている、変えさせられている。
「変人」と解釈した時点で、自分と違うことを認識した時点で、そこに「何か」が起こっている。変化が起こっている。
言葉は時代とともにその意味が変わっていく。
「「変人」とは、、、、人を変える、地域を変える、国を変える、世界を変える、時代を変える、、、そんな変えていく人である。」
という解釈が当たり前になる時代の、ちょっと手前に私たちはいるのだ。←予言者風(笑)
だから「変な人!」と時には冷たかったり、白かったりする目で見られても、その瞬間にこう呟くのだ。
「おまえはもう変わっている、、、」