好きなこと、楽しいこと、自分が気持ちいいことをやっている人は不平不満愚痴泣言は言わない、言う必要がない。

不平不満愚痴泣言は好きなこと、楽しいこと、気持ちいいこと、を自分がやれていないからこそ出てくる。

A「嫌だったらやめれば?」

B「やめられるならばとっくにやめてる!やめられないから言ってるの!😠

よくある会話パターン

だけど

「それは本当ですか?」

「わかっちゃいるけどやめられない」の重度な人のことを「依存症」といいます。
中度、軽度な人を「他人軸」といいます。
まったくない人を「自分軸」といいます。
(アスペアケミによる定義)

人への噂話悪口等も「わかっちゃいるけどやめられない」から発生する。

「わかっちゃいるけどやめられない」人は「わかっちゃったからやめちゃった(やっちゃった)」人をゆるすことができないのだ。

自分が我慢していること、自分が自分に禁じていることを、気にせずやっちゃう人をみたとき、モヤモヤイライラが発動する。

そのマイナスのエネルギーが自分や周りの「氣」を損なう。

空気が悪くなる
気分が悪くなる
からだの調子が悪くなる、は同じこと。
(地球環境が悪くなる、にもつながることなのだ!)

自分がマイナスエネルギーを発生させないことが自分のためでもあり、周りのためでもある。

そのために何ができるかと言えば、とても簡単だ。

「自分の好きなことをやる」

「自分が心地よいこと、気持ちいいことをする」

人は変えられないけど自分は変えられる
自分が変われば周りは変わる。

世の中を変えるって実はとてもシンプルなんだと思う。

ワタシが伊那谷スタイルでやりたいこと
「駒fun」を通して伝えたいことはまさにそこだ。

あなたの中にあるあなただけの「心地よさ=駒fun感覚」を見出だして欲しい、ということ。

自分の言動を

人からみてどう思われるかで選んでないだろうか?

みんながやっているから、で選んでないだろうか?

こう言いたいけれど言ったらなんて言われるか怖いから、、、とりあえず言わないでおくとか

それはおかしい!と思っても昔からそうだったんだから、と言われてあきらめてしまうとか、

これを言ったら周りの雰囲気を壊してしまうから飲み込んでしまう、とか、

そうやって周りを気にして自分の感覚感性を封印しているといつの間にか失ってしまうもの、

それが「快感覚」であり「自分軸」であり「いのちが喜ぶ感覚」だ。

「駒fun」はそれを「おまた」から取り戻すためにあるのだ。

いのちを生み出す一番神聖で大切な場所からね。

こう表現するとすぐ下ネタ方面を妄想してしまう人もいるかもしれないけど、そこにしか意識を向けられないこと自体、矯正下着並みの不自由さ、からだ感覚の貧弱さを露呈しているよね(笑)

「快感覚」とは、心地よさ、快適さ、自分を大切に扱う感覚そのものだ。

そこがなおざりにされてきたからこそ、からだやこころを病む人がこんなにも多いのだし、地域も誇りを持って自慢できる場所ではなくなってしまったのではなかろうか。

心地よいことを感じることを自分にゆるすことがあらゆる問題を解決するための一番の根元だと私は確信している。

今までは生きて行くためには、どうしても人と人とが力を合わせて集団を形成しなければならなかったし、そこに適応するために個人の心地よさは犠牲にされることが多かった。

文字通り食べていくためには心地よさを求めるなんて二の次だったのかもしれないけれど、人は「食べていくだけ」のためには本当の意味では満足して「生きていけない」のだと思う。

先代の人達の多大な犠牲と貢献の上に、今の便利な社会があることを感謝しつつ、勇気を持って自分の「快感覚」を優先していかなければならない。

子供たちはこの「快感覚」に敏感だ。
それはこの感覚を育てることが人生の土台となることを知っているからに他ならない。

「快感覚」は「いのちが喜ぶ感覚」だ。

学校に行けない、行かない子供たちが増えている。

今の学校は教育の名のもとに、社会への適応力を養うという名目のもとに「いのちが喜ぶ感覚」を抑圧することが求められる。

敏感な子供たちこそ分かっているのだ。

「いのちが喜ぶ感覚」を自分で守らなければならないことを。

それは「自分軸」を守ることでもある。

「自分軸」はからだ感覚からしか生まれない。

それを失ってしまうと「他人軸」「依存症」の人間ができあがる。

一部の人にとって「他人軸」「依存症」は支配しやすいし、利用しやすい。

「自分軸」の人は自分の快感覚を大切にするから支配されないし利用もされない。そして人の快感覚も大切にできるのだ。

「自分軸」で生きる人が増えることは「いのちが喜ぶ感覚」を大切にする人が増えることでもある。

「他人軸」や「依存症」ばかりの世の中は
アスペや子供にとっては本当に生きづらいのだ。

、、、
ということで「駒fun」(駒ヶ根のふんどし)の宣伝でした。\(^o^)/

パンツから駒funに変えた時こそ「快感覚」「自分軸」を取り戻すチャーンス!

最近、愚痴泣言不平不満が(自分でも周りでも)多いなあと思う人はぜひお試し下さい。

※先日のワークショップの中で引いたカード
「魂の回復」

 

いのちが喜ぶ感覚は、いのちの輝き、光そのもの