駒ヶ根に移住後行っていた家庭菜園

今でこそわが家の南側敷地はフローライトかなやま施術院とお客様用駐車場になっているが、子供たちが幼い頃、子育て真っ最中の頃はその場所は家庭菜園だった。

もともと花や野菜を自分で育てたくて、駒ヶ根に移住後3年くらいまでのアパート住まいの期間は市民農園を一区画借りて趣味と実益兼ねた野菜作りを張り切っていた。

おんぶひもで長女を背中にくくりつけて夢中で鍬をふるっていたらひもが知らないうちにゆるんでいて気づいたら逆さづりになっていた、、、なんてこともあったなあ😅

見よう見まねで畝を立てて種を蒔いたり、苗を植えたり、、、素人なので加減がわからず、堆肥や肥料たくさん入れればいい野菜ができるだろう、と欲張ったら植え付けた苗が萎れてしまったり、虫が大発生したり、、。
失敗しながら「いい加減」を学んでいったものだった。

移住してから3年後に今の場所に家を建てることになった時、どうしても譲れないことだったのが、
敷地の南側半分を畑にすること!

110坪の敷地の半分を自由に使えることになり、それはそれは張り切って、造園技術の通信講座まで申し込んで勉強して庭作りと畑作りに没頭した。

EM菌を使った生ゴミ堆肥作りも、ゴミを出さない循環する暮しに少しでも近づけた気がして豊かだなあ、としみじみ感じられた懐かしい思い出の一つ。

写真は長男が2才くらいの時のお気に入りの1枚。生ゴミコンポストの中に入れて河童のポーズ、後ろに写っている竹の生け垣も、丸大杭を打ち長い竹を数本手にいれて自分で切って棕梠縄で組立てて作ったもの。

畑にはなす、胡瓜、トマト、ピーマン、じゃが芋、玉葱、さつま芋、人参、かぼちゃ、大根、ネギ、ほうれん草、、といった定番以外にも、ニンニク、ニラ、落花生、ゴマ等も作って生育の様子や花を楽しんだり。
ゴマは収穫後にゴマ粒とゴミを分けるのが大変で一回で懲りてしまった😵💧

※駒ヶ根はゴマの栽培とゴマを使ったお店のメニューやお菓子で地域ブランド作りをしています。国産のゴマは貴重、駒ヶ根きたらゴマ関連グッズをぜひ探してみて下さい。

ニンニクを畑に植え付けて、スーパーで売っている中国産のニンニクの芽ではなくて自作の新鮮なニンニクの芽を収穫して食べられた時は嬉しかったな!

ホームセンターで売っている様々な種の大部分は試してみた。発芽実験みたいで楽しかった。
うまくいくものもあり全くダメなものあり。

枝豆の種はまいてもまいても双葉がいつの間にかなくなってしまい。おかしいなあ?と思っていたら発芽したそばからみんなハトに食べられていた、、、なんてこともあったっけ。

上手く出来た時はそれはもう自然の力に感謝感激、失敗したらしたで、それもまた思わぬ発見があり、飽きることがない、楽しい楽しい家庭菜園ライフだった。

長野県は平均寿命、健康寿命共に全国一。
その秘訣の一つに畑仕事と草取り仕事があるのは間違いないと思う。

体を動かすことで体温は上がるし何よりも筋トレになる。
汗ばむくらいの動作が血液やリンパ液の流れをよくして、免疫力もアップする、
時たま腰を伸ばして伸びながら新緑の匂いを含んだ新鮮な空気を深呼吸、ほどよく疲れた後はご飯も美味しく寝付きもいい。

いいことづくめ!

一粒の小さな小さな種が芽を出して大きく育っていく姿を毎日観察できて、しかも収穫の楽しみと食べる楽しみももれなく付いてきて、何といっても取ってからすぐ食べられるという贅沢さ!

新鮮、美味しい、なんて言葉を越えて、いのちを頂く、「いただきます」の本当の意味をからだで感じられる毎日は、今から思うと何と贅沢で幸せなことだったんだろう。

整体の仕事が忙しくなり、お客様も増え自宅一室では手狭になったので庭に今のサロンを建てたのが今から10年前。

手塩にかけた畑に重機が入り、土がコンクリやアスファルトに覆われた時、冬は畑の隅で冬眠し、夏は虫をとってくれたり雨を知らせてくれていた畑の主のトノサマガエルも当然ながら消えてしまった。

当時は「野菜なんて育てるより買った方が手間がかからないし安い」そう言って無理矢理自分を納得させていたけれど、本当は自分にとって一番大切な、真の豊かさとも言うべきものを手放してしまったことを感じていたのだった。

コロナによって再び手に入れた、畑のお世話をする生活

、、、、コロナによる変化の波は私にも訪れた。

駒ヶ根にセカンドハウスを建てた横浜の姉夫婦がこちらに来られないので、庭の畑の世話をさせてもらえることになったのだ。

今日はジャガイモの植え付け完了、さて後は何を作ろうか?
種や苗を買いに行く楽しみが増え、昔の情熱が甦ってきた🔥これもコロナのおかげ、ありがたい。

「伊那谷スタイル」という言葉のイメージは、いのちが生まれる場所、いのちの輝き、いのちが生かし生かされる生活スタイル。

土への回帰、農が身近にある暮しはまさしく
「伊那谷スタイル」だ。

コロナの影響で自由になる時間が増えたおかげか、野菜作りに向かう人が周囲で増えてきた。

マスクもなければ作ればいいってことも分かったし、お金が乏しくなっても究極は食べ物さえ有れば人は生きていける。
自分で食べ物を作り出すことは生きていく自信に繋がっていく。

コロナ騒動で不安や怖れを感じたら、土に触れたり、種をまいたりするといいのかもしれない。

都会にいくとすべてコンクリやアスファルトで固められて土が見えない。いのちを育む母なる大地、土が見えない環境は安心感を持ちにくい。
いのちを生み出し支えてくれる土から切り離されたことによって、わたしたちは生かされている感謝、生きていく自信からも遠ざけられてしまったのかも知れない。

家屋と広い庭や畑がセットになっていて、当たり前のように自給自足ができる「伊那谷スタイル」って実は凄~く価値があって宝ものなのよ~、なんていちいち声を上げなくても、いのちは向かう先を知っている、なるようになって行くんだね。

アフターコロナが向かう先は実は伊那谷スタイルそのものなんじゃないのか、と思っている。

、、、だから伊那谷スタイルって最先端なんだよね、と秘かに自画自讃しています😁