今回のコロナ騒動で一番考えさせられたのは、世の中に蔓延した怖れと不安についてと、それに対する自分の違和感のことだった。

なぜならその内容の相違、つまり周囲が怖れや不安と感じていることを、自分が感じられない、そこに合わせられない、という不安と怖れが、物心ついた時からずっとあって苦しかったということを否応なしに思い出させられたから。

一般的にコロナに対する怖れと不安の中で一番強いのが、コロナに感染したら肺炎になって死んでしまう、という死への怖れだろう。
もう一つは、自らが感染して人に感染させてしまう怖れ(加害者として差別される怖れ)。

連日テレビでは海外で感染者がものすごい勢いで亡くなって医療現場が悲惨な状況になっているというニュースが流れていたようだし
(うちはテレビないので見ていない)、
知りあいからも拡散希望のチェーンメール(医療現場の現況を伝える医師から、という内容だったが後にデマだったと判明)がきた。

大事な人の命を守りたいから送ります、と添え書きがあって、ああ心を寄せてくれてありがたいな、と感じながらも、ものすごい違和感が沸き上がって嫌悪感まで出てくる自分に嫌悪感を持ったり!(我ながら非常にメンドくさい😓)

その違和感は人の善意を利用してコロナへの怖れを煽り行動制限させることで何らかのメリットがある人たちの意図を感じたからなのかもしれないが(ネット上で様々な陰謀論も流れてきたしね)、一番は、命を守りたいから、という大義名分の元では考えなしに何をしても許されるし、そこに疑問を持つことは許されない、という世間の風潮に対してだった。

命の在り方について、命の守りかたについて、死ぬということについて、死への恐怖心を方向付けて行動を制限されることに対して、生きる上で何を一番大事にしているか考えていく自由さえも侵食されていくような違和感だったのだ。

ワタシにはワタシの命の在り方、守り方、死への向き合いかたがある。
そこをじわじわ侵されて行くことに対しての不快感と、同じように感じていないと弾き飛ばされ、コロナ感染者の如く隔離させられてしまうのではないか、という自分の感覚に対しての怖れと不安とに向き合うことになったのだ。

更にその感覚こそ、物心ついた頃から周囲がよかれと思って諭したりアドバイスしてくれた時に、心から理解して納得している訳でもないのに相手に対してとりあえず自分の感覚に蓋をして「わかりました」と答える素直な子供を演じ続けた結果、抱え込んでしまった違和感と無力感が沸き上がってきたものだと分かったのだ。。。

ほとんどの親はよかれと思って子供に自分の感覚や世間の常識を植え付けるべくアドバイスする。
みな善意だし、そこに愛があるのも真実。

日本は特に同調圧力が強い国だから、親心としてそこに適応できなければ生きづらくなる、と思うのは無理はない。
だけどアスペ気質の子供にとってはそれはツラいし、親にすら自分を分かってもらえない、という絶望感を植え付けてしまう怖れもある。

独特な感性を持つアスペ気質の子供とって、親の言葉と自分の感覚とがずれていたときに出る行動は、「そうじゃない!」と反発するか、とりあえず「わかった」と言って場を収めるために自分が自分に嘘をつくか、自分の感覚を間違っていると否定するようになるか、のいずれかだ。

一番の生きづらさは、強烈且つ独特な個性や感性を持ちながら、周囲に迎合するために自分を偽り続け否定し続けた過程で造り出されてしまった生きづらさ、つまり後天的生きづらさだ、というのは以前書いた。

未だに人と接する時に瞬時にそのパターンが顔を出すのがわかる。
まあこれも生き残り戦略でやってきたことだし、ワタシなりの相手に対する優しさだったり敬意だったりしたわけだけど、このパターンは自分に対して優しくないし、自分の感性を無視することにも繋がってしまう。

自分を偽り続けた者が自己肯定感、自己効力感など持てるはずはないし、真心から人に優しくできるはずはない。
何より相手に合わせるためのエネルギーの消費が半端ないので人とのコミュニケーションに対してもついつい煩わしくなり、自然体の自分を守ろうとする結果引きこもり傾向になってしまうのだ。

特に子供の頃は親の影響をモロに受けるので親が「素直じゃない」「変わってる」「扱いにくい」なんて感じていたら、それこそ子供はどうしたらたららいいのか分からず混乱してしまうだろう。

振り返ると母はワタシのそんな部分を母なりに大事にしてくれたけれど、
こだわりが強く、こうと決めたらなかなか言うことを聞かない反面、繊細で神経質なところもあったワタシが「おかしな子」と見られないように、周囲から浮かないようにと母が気にしていたのも分かっていたので、
何とか心配かけないようにいい子でいなければ!と子供ながらに必死に頑張っていたのだ、と思う。

当時ワタシなりに考えた「いい子でいる」の定義は、集団の感覚に合わせられる、社会常識、価値観に合わせられる、行動としては「学校へ行くこと」「優等生になること」だった。
この頑張りは個性を発揮する方向ではなく個性を抑圧する方向への頑張りだったから、本当に消耗したし、数年でからだもこころもおかしくなってしまった。

コロナ騒動を通じて浮上した、何か事がおきたら皆で一丸となって戦おう!みたいな方向になったとき、からだの奥底から沸き上がってきた不快感と違和感それに伴う不安と怖れ、これは当時のワタシの苦しさであったし、生き延びるために選択した過程で抑圧し続けてきた生来の感性の叫びと反逆でもあったのだ。。。。

、、つくづく思う、、、アスペの存在意義とはある意味、周囲の人がどれくらい同調圧力に汚染(笑)されているか計るバロメーターなのだと。

アスペに対して、苛立ったりムカついたり、みなと同じ行動できないからと攻撃したり
(行動を伴わなくても心の中で思ったり醸し出す雰囲気をキャッチしてしまう敏感なアスペも多い)
するその反応こそ、同調圧力からの自動反応かもしれないのだ、と言ったら言い過ぎだろうか。

、、、PCR反応陽性ならぬアスペ反応陽性の人は同調圧力に感染して発症してしまっている人なのかも!?と想像したら笑えてきたよ😂

問題になった、人が人を監視する「自警団」などはまさに同調圧力という「虎の威」を借りた行動だったよね。
本人は善意でみんなのために良かれと思ってやっているんだろうけど。
これが人と人とが争う、人がいのちを守るという名目のもと、人のいのちを奪うことを正当化する戦争の前段階であると感じてしまうのだ。

そこから逃れるためには?

そう、接触しないに限る!

接触制限することが自分のいのちも他者のいのちをも守る手段なのだ。

人とうまく付き合えない、生きづらいと感じているアスペ気質の人は、自信を持って「引きこもり」しよう!

これまで引きこもっていた人は自分の感性を同調圧力感染から守っていたことに自信と誇りを持とう!

コロナ感染を防ぐのに一番有効な方法が自粛、即ち「引きこもる」ことだったということは、生来引きこもり傾向の人間であるワタシにとっては、ちょっと慰められるというか、笑えるというか、嬉しい出来事だったのは間違いない。

自分が人生を通じて採用している感染防止対策「引きこもり」に対して、どこからか「そんな消極的な逃げの姿勢でいいのか!」とついつい自分責めをする自動反応が出てくるけれど(すでに何らかのウィルスに感染している模様😅)、今回のコロナ騒動のお陰でその自動反応ウィルスの正体も分かったしやっと免疫獲得できた模様。

後天的自動反応ウィルスは自分に課した(社会で生きて行くための)筋トレのような役割りをしてくれたけど、最近は筋力落ちてきたからちょっとしんどいし、そもそも子育ても終わったからもうそんな筋力は必要ないし、自分に合ったこころとからだの使いかたにシフトして行きたいなあ、とつくづく思う今日この頃。

生来同調圧力に感染しづらいアスペの特性は否定することなく、そのままに受け入れておいた方がいい、本人も周囲も。

その感染しづらい資質がいよいよ生かされる時代がやって来たのだから。

何故ならそれは、どんな未知のパンデミックが起きても生き残れる、人類に与えられている生き残り戦略の一環なのかもしれないのだから。

また同調圧力に対して面と向かって抵抗するのではなく、引きこもりのように一見消極的に見える抵抗でもボディブローのようにゆっくりと確実に世の中を変えていく原動力になっていることもあるのだと感じている。

コロナのお陰で引きこもりながら仕事したり、人と繋がれる道もどんどん開けている。

引きこもりに対してストレスを感じないアスペはこれからの時代にとっては最強の資質なんじゃない?
安心して引きこもれる時代がやってきた!
地球も喜んでいるに違いない!
(世界的な引きこもりで自然環境が改善したというニュースもあったよね)

そういえば「最終兵器彼女」とかいう漫画があって面白い題名だなあ!と思ったけど、コロナ同調圧力パンデミックに対して戦う「最終兵器アスペ」なんて題名の漫画描けたら楽しいだろうな~、と一人妄想してニヤニヤしております。

残念ながら今から漫画家にはなれないなあ。
あ、漫画描けなくても原案原作という手があるか!