おもてなしと絶対感触
「おもてなし」という言葉にとても苦手感と違和感を持っている。
おもてなしの言葉の成り立ちは、お+もてなす、「以て為す」、の丁寧語だ。
相手の願うことを汲み取って相手が喜ぶことをすること。
サービス業にかかわらず日常生活にも重んじられる言葉だ。
しかしアスペにとってはこの「おもてなし」という言葉ほどストレスを感じる言葉はない。
これには長年「人の気持ちがわからない」「気がきかない」という言葉や雰囲気、評価を周りからさんざん受けてきたトラウマが関係しているかもしれない。
常に自分の独自感覚を元に周囲に対応している感じだから、相手が喜ぶことを想像することがまずできにくい。
さらに価値観が違っていたり、ずれていたりするから、大多数が好ましいと思ったり感じたりすることが、「一体それのどこがいいの??」と、まず理解に苦しむし、分からないから自分なりに気をきかせたつもりになると余計なお世話になってしまったり、余計なお世話にならないように気をきかせたつもりが相手からすれば気がきかない、不親切だ、となる。
相手のどこに意識の標準を合わせて対処すればいいのかよくわからないのだ。
つまり「以て為す」にしても、何を以て為すのか、その「何」がそもそも「相手の価値観からくるこうして欲しい気持ち」だとしたら、そこからして既に無理、圏外、アウト!となる。
最近口コミで施術に来てくれたお客様から立て続けに、「今までいろいろなところに行ったけど一番よかった」とお誉めの言葉を頂けた😍
「来て欲しいところに手が来るし力加減が絶妙!気持ちよくて最高!」
今までも何度も言われてる言葉だから特に感動もなかったが気づいたことがひとつあった。
力の入れ具合も人によって、この人は強めでも大丈夫とか、この人は繊細な触れ方でやったら気持ちいいだろう、とか、頭で考えることなく手が勝手に察知して手が勝手に対応してくれている。
相手のからだの気持ちよさとこれくらいの圧がマッチする感覚、ここはこのように動かしたら整っていく、というからだの欲求に手が勝手に寄り添っていくような感覚だ。
先日この感覚に「絶対触感」と名付けた。
一般的なサービス業におけるおもてなしの感覚は想像するにきっとこんな感じなのだろう。
わたし自身はおもてなしできなくても、わたしの手は「おもてなし」が出来ている!と気づけたことは大きい 。
仕事していても、いつも自分が一番自分の施術を受けたいよな~、と思っている。
目の前のお客様が自分だったらどんなにかいいだろう、と思う。
もう一人の自分をポケットから出して欲しいとドラえもんにお願いしたい気持ちだ。
これって最高のおもてなし感覚と言えなくないか?
アスペは自分のこだわり感覚をオフにして人の感覚を読み取りながら人とかかわるのが難しい。。。というかオフにならない、オフにできない。
自分独自の感覚を元に人にかかわる回路しかうまく使えない。
感覚における自分軸と他人軸のバランスが、一般を5:5としたらアスペは9:1、8:2くらいな感じなのかな。
一般的に言われる「おもてなし」とはその逆なのだろうと想像する。
自分の感覚を脇に置いて、自分軸を限りなく0に近づけて相手の感覚に寄り添える、ということだろうから。
ワタシが唯一自信をもって寄り添える価値観とは、「からだが感じる気持ちよさの追求」であり、「そのからだが行きたい(生きたい、活きたい)方へ向かう手助けをすること」
自分が心地よい気持ちよいことが相手にとって最高の気持ちよさを提供できる、最高のおもてなしなのだ、としたら、
自分軸、ひとりよがり、自己満足はおおいに結構だ!
「こだわり」「 こだわる」「 こだわりがある」という言葉はいい意味にも悪い意味にも使われる。
ワタシにとってこだわりの定義は
「自身のこれだ!という感覚への純粋さ」
アスペ的おもてなしの定義は
「自分のこれだ!という感覚への純粋さを以て相手に為すこと」
相手のこうして欲しいという(からだの)気持ちと自分のこれだ!という感覚への純粋さがうまく一致した結果がお客様満足に繋がっている。
だからは誰に対してもどんな状況においても自分の感覚を脇に置いて相手に満足してもらうことを目指すと訳が分からなくなって混乱してしまうのだ。
機械の仕組みや組み込まれたシステムに合わない操作を繰り返したら機械本体に不具合が生じたり動かなくなったり壊れてしまったりする感じに似ている。
そして「おもてなし」という言葉を理解するのにここまで苦しむことになる。
自分の気持ちよさ、楽しさ、興味を突き詰めて行くことがアスペにとってのおもてなしであり、お客様満足であり、純粋な自分満足、自己承認、自己肯定感、自己効力感に繋がるのだと思う。
自分満足=お客様満足
そこが腹に落ちた時、アスペの底力(特性)が発動、プラス方面に発揮されてくる。
だからつい時間を超越してしまう。
そこがお客様にとっては「すごくサービスしてくれる!」となるらしいのだが、以前は言葉を正確に使いたいというこだわりから「いえいえ、サービスするつもりでやっているんじゃないのですよ」といちいち説明していたものだ😅
最近は「からだがもう少しやって欲しそうなんでついやっちゃいました~」と返している。
我ながらナイスな、嘘のない純粋で誠実な答えだと思っている😉。
ワタシは人が好きか?と聞かれたらうーんと考えこんでしまう。
でも人のからだは好きか?と聞かれたら即答でイエス!。
からだはその人の本質を表現している(と感じている)からだ。
そしてそこと繋がっているのは紛れもなく自分の快感なのだ。
独自の感覚、マイワールドに合ったお客様
ニッチな市場、狭さと深さ。
ビジネス、お金ベースで考えれば、広く浅くが今まではよかったのだろうけれど(戦後の食べていければよかった時代や、一億総中流と言われた時代などはそうだよね)これからは狭く深くに向かうだろうと確信している。
(アスペも含めた)一人一人の幸せを尊重するのならかならずそこに向かわざるを得ないからだ。
広く浅く、は普遍化効率化を必要とするから個々人の個性に寄り添うことは難しい。
深く狭くは個別化に向かうから個々人の個性に最大限寄り添える。
個別化、個性化がこれからの「おもてなし」の主流になるに違いない。
アスペの独特なこだわり感覚が生きる、生かされる時代はこれからが本番だと思うな。
未来は明るい!✨
※写真はおもてなしマイスターの称号を入れた名刺。
長野県主催の講座で学んで認定を受けたので、名刺に入れたらいいよ、とアドバイスもらって作ってもらったもの。
自分の中でおもてなしの定義が定まらなかったのでずっと渡す時に気持ち悪い感じだったけど、これでやっと抵抗なく人に渡せるかな😊
自分の感覚や考えていることをを一つ一つクリアにしないと前に進めない、このこだわり感覚こそがアスペのアスペたるゆえんなのだろう。
我ながらめんどくさいけど原石を研磨して透明度をあげていく作業に似ている感じ。
これぞアスペ人生そのものって感じだよね。
めんどくささと生きづらさとおもしろさは紙一重。