初日は1時半集合、簡単なオリエンテーションを経て2時半からスタート。
合宿には厳密なカリキュラムがあるわけではなく、参加者の状態をみながら臨機応変に進んでいく。
メモをとったりすることもない。知識を増やす頭の学びとは真逆、からだを使って感じることを学ぶ。
野口体操で無意識に身に付いたからだのクセ、こわばり、緊張などをゆるめて(弛緩)ほぐして(解放)いく。
一人でやる体操では
・上半身の吊り下げ・四つん這い・四つん這いからのネコのポーズ・補助してもらっての逆立ち、等々
二人で組んでやるものは
・足指揺らし・脚、腕揺らし・股関節回し、等々
体操と聞くと柔軟性を上げたり筋力を増強させるために行うもの、と思いがちだが、野口体操では如何に力を抜けるか、が肝だ。
実際にやってみると分かるが、力を入れるのは簡単なのに、力を抜くというのは以外に難しい。
力を抜こうと思ってもどこか力が抜けきらない、というより力の抜き方がわからない。
力を抜いているつもり、になっているだけなことに気づく。
野口体操の動きを通して自分が日頃如何に無駄な力を入れているか、力んでいるかが、からだから浮かび上がってきて愕然とする。
力を抜いて、と言うのは簡単だが力を抜くためにはその前段階として如何に自分が無駄な力を入れているかに、気づく必要があるのだ。
自身のからだの無意識な力みを野口体操を通して感じて意識に上らせることは日頃のからだへ向ける意識とは全く逆の方向だ。
初めて体験した時は衝撃だった。子供の頃から柔軟性がなく生まれつきからだが固いんだと思い込んでいたから。
小学校での体力テストで前屈しても手が床に全くつかず、逆に背筋力は抜群に強かったのも今から思えば納得がいく。
「バアサンみてえ~(笑)」と男の子からからかわれるのが嫌でテストの前の休み時間にトイレに籠って秘かに前屈の特訓をしていたワタシ。
今から思うと頑張る方向間違っていたなあ。
ワタシは元々からだが固いのではなく、自らからだを固くしていたという気づきはまさにAHA体験だった。
時々聞こえる、瀬戸嶋さんの「ふあァ~~」というあくび声により、更にみんなのからだがゆるんでいくのを感じていた。
からだがゆるんで解放されてくることで、そこに固めて閉じ込めていたものが自然と外に流れ出してくる。
それはその人の姿勢や顔つき、存在感として周囲に流れ出てくる。
そしてそこから響いてくる声は人を思わず動かしてしまう迫力を帯びてくるのだ。
声に関しては面白い気づきがあった。
塾の講師をしているという受講生の一人が自分の声が自分の声でないのを自覚して悩んでいた。
生徒に注意しても笑われてしまって、言うことを全然聞いてくれないのだという。
自分の声がまるで天使ちゃんが頭の上からしゃべっているような感じがすると表現していた。
瀬戸嶋さんによると横隔膜がうまく動かせないと呼吸が浅くなり声が腹からではなく上の方からしか出せなくなるという。
上体ぶら下がりの状態で横隔膜を意識した呼吸をしながら声を出していくとみるみる声の質が変わっていくのが分かった。
確かに口先だけの声では迫力ないし子供たちが言うことを聞かないのは無理もない。
子供たちは大人よりよっぽどエネルギーに敏感だ。先生の声がどこから発せられているか瞬時に判別しているのだろう。
そういえばワタシが中学生の時に授業が成り立たなかった女の先生の声は確かに上ずったキーキー声で「静かにしなさい!」と叫んでいたけれど全く焼け石に水だった。腹から出ない声はロボットのようで意味は伝わらないし当然迫力がないので人を動かせない。
学級崩壊が起きてしまうクラスの先生の声は間違いなく腹からでる声ではなく口先から出ているのだと思った。
、、、つづく
※うちにある野口体操関連の本
実際に体験しないうちに読んでもあまり意味なかった。。本物の知識とは、からだへの落とし込みとセットだ、を実感中。