うんこは健康のバロメーター

以前うんこドリルから惹き起こされた妄想をブログに書いたこと思い出したので、その2!😂😂

以前の記事はこちら▶うんこ妄想

先日来てくれたお客様と施術しながら話していた時のこと。
この方はからだの緊張が強くて力を抜いて、と言ってもなかなか抜けない、というより抜き方がわからず、刺激にも敏感で、圧を加える施術ができない。

ナカメ式足指バンドとバッチフラワーへの反応が明確で、使うと一気に緊張度が下がるので、このお客様のからだからはいろいろ学ばせてもらえるのでありがたい存在だ。

それでももっともっとからだの緊張が抜ける何かいい方法はないのだろうか?といつも思っていた。

からだに触れていたら、相変わらず硬い鎧を全身に纏っている感じで重くて窮屈そうで、しかもさらに重石まで背負っている情景まで浮かんできたので、

「年末年始は忙しかった?長男の嫁って大変だよね~」
なんて声をかけたら、
「わかります~?聞いて下さいよ~」
から始まり、まあ出るわ出るわ。。。。そりゃこれだけの鬱憤を抱えてたらからだもこういうふうになるよね。。。

お客様「最近は一人になると『くそ~っっっ!!!』って叫んでストレス解消しているの」

ワタシ「そうか、くそ~っっっ!!!がキーワードなのね、ん?くそ??、くその意味は漢字でいうと糞(くそ)、うんこのこと??」

、、、と、途端に私の頭の中は、うんこ💩💩💩だらけになってしまった。

ワタシ「出すとスッキリする?」

お客様「そうねえ~、スッキリするというより出さずにおれない感じかな、、、。」

、、、今すぐに出したいうんこを我慢するのはとても辛いことだ。

小学生の頃、歩いて学校まで40分くらいかかったので登下校の最中に何度も危機的状況に襲われた。

一瞬でも気を抜いたらヤバイ、それはもう全身に力を入れて息を詰めて、、、、何度諦めようとしたことか、、、心折れそうになると
「自分に負けるな!アケミ!自分に勝つんだ!アケミ!」
と当時流行っていたスポ根漫画の主人公になりきって自分を叱咤激励したりして。

何とか家にたどり着いておトイレで出せた時の安堵感と達成感と脱力感といったら!!

うんこを我慢している時には間違いなくからだには相当な負荷がかかっている。

出したい時に出せない辛さ、
それはうんこも溜まった感情も同じことだろう。

うんこは健康のバロメーターだ。

大便とは、からだからの大きな便り。ちなみにいいうんこは、毎日出ること、色は黄土色、仄かに酸味が漂い(腸内の善玉菌が働いている)、連なった形状で水に浮く。

日頃自分はどんなうんこを出しているんだろうか?
目に見えるもの、見えないものを含めて、注意深く観察するということをしているだろうか?

うんこは別に悪いものではなく出なければならないし、出さなければならないものでもある。
生きているということはうんこを出す過程でもある。
ただ時と場所を選らばなくてはならない。出したい時に出して許されるのは赤ちゃんの時だけだ。

目に見えないうんこも同じ。ところ構わず撒き散らしていたら周りに迷惑かけてしまう。自分がいつどんな場所で見えないうんこを出しているか、自覚していることが大人になるということかもしれない。

認知症の症状で一番困るのが「弄便」だ、と介護している人から聞いたことがある。

ところ構わず出してしまい、しかもそれを弄んで泥遊びのようにしてしまうらしい。

これは私の妄想だけど、認知症とは我慢が限度を越えてしまった病気じゃないのかな、と思う。

言いたいこと、やりたいことがいっぱいあったのに、出しちゃいけない、言っちゃいけないと我慢に我慢を重ね、からだとこころをずっと緊張させてきた結果、ゴムが伸びきってしまったパンツのようになっちゃった状態を認知症というのかもしれない。ある意味我慢強い人がなるのかもしれない。

介護職の人から、学校の先生とか警察官とか、お堅いといわれる職に就いていた人や、あんなにしっかりしていた、いい人が!と周りから言われていた人に認知症が多いと聞いたことがある。
逆に周りから「クソジジイ」「クソババア」とか内心思われている人ほどいつまでも頭はしっかりしている傾向にあるとか。

ああ、ここにも「クソ」が、、、、、
クソを振りまいていれば認知症にはならないのか!?周りは大変だろうけど認知症になって本物のクソを振り撒かれるよりはいいのだろうか。

社会や周囲の秩序のために自分の感情を出すことを抑圧しなければならなかった人が認知症になれたことで、やっと出したいものを自分の出したいように出せるようになるのかな、と思うと切なくなる。

うんこ出したい時に出してもいい場所がたくさんあること(悩み、愚痴泣き言を聞いてくれる友だちがいること)と出すことを我慢しないこと、うんこがよくないこと、汚いこととなど思わないこと、自分の中から出てくるものに蓋をしないこと、自分をゆるす、ゆるめること、などが認知症予防になるのかもしれないな。

認知症にならない生き方とか、社会のあり方とはどんなものだろうか、と考えてしまう。

認知症になることを怖れるよりと、どうしたら発症しなくなるのか、の方に意識を向けることの方が大事だと思う。

腹立たしい時に思わず出てしまう「くそーーっっ!」の言葉、考えてみれば奥が深い。

ではでは、どうしてうんこは作られるのか?、うんこの中身にはどんなものがあるのだろうか?、、
、などと考えはじめると、1日がうんこまみれで終わってしまうのでここは我慢しなければならない(笑)

こんなふうに頭の中の妄想を言葉にして発散することが、私にとっての認知症予防なのかなあと思う。

子供の頃は思ったこと、感じたことを言ったらいけない、周りに迷惑かける、と思っていたからひどい便秘で痔持ちの小学生だったのだ(泣)

溜め込んだうんこが出るときはそれはもう出産なみの苦しみで、おトイレの水が流れないほど。おトイレには随分迷惑かけたし水も無駄に使ったよなあ。

今は毎日快調快便、昔ほど我慢しなくなったからためることも必要なくなったということだ。

それでもちょっと便秘っぽいと思う時は、何か無理していないか、我慢していないか、自分に問うてみている。

やはりうんこはからだとこころからの大きな便り、深いのだ!

うんこ妄想のブログは続く。。。。

※田んぼのあぜ道でよく見かける盛り上がった土は、もぐらが顔を出した跡地。
伊那谷に来たばかりの頃は知らなくて、動物の(熊かなんかの?)うんこだと思っていたんだよね😅😅